协和语产生的原因及其对中日语言的影响

 2022-06-24 11:06

论文总字数:10300字

摘 要

语言是人类文化活动的重要组成部分之一。协和语作为一种伴随着殖民入侵和殖民统治的特殊语言现象,其产生与发展都有着复杂的历史。此外,该语言曾经作为中国人和日本人交流的主要语言而有着很大的影响。而另一方面,协和语无疑又是一种语言怪胎,充满了毫无章法的中文和日语的混合。战后,协和语作为战争记忆的一部分,留存在很多人的脑海里。

关键词:协和语,语言文化,伪满洲国,侵华战争

要 旨

 言語は人類の文化活動の重要な一部分である。植民侵略と統治とともに生まれた特別な言語現象としての「協和語」は、その出現と発展の歴史が複雑である。また、同言語は戦時中国人と日本人と交流するために使われた主な言語であり、大きな影響力を持っている。一方、中国語と日本語がやけに混じって形成した「協和語」は言語の奇形児と言える。戦後、戦争記憶として、「協和語」は人々の心に深く残っている。

キーワード:協和語、言語文化、偽満州国、日中戦争

目 次

はじめに(序論)……………………………………………………………1

第一章 協和語の概説………………………………………………………2

1.1 協和語の定義………………………………………………………………2

1.2 協和語の特徴…………………………………………………………………2

第二章 協和語が形成された原因…………………………………………………4

 2.1 日本側の原因…………………………………………………………………4

  2.1.1 中国語への軽蔑…………………………………………………4

  2.1.2 植民地政策………………………………………………………4

 2.2 中国側の原因…………………………………………………………4

   2.2.1 生存の圧力………………………………………………………4

   2.2.2 自我植民化………………………………………………………5

第三章 協和語の影響………………………………………………………6

3.1 社会への影響……………………………………………………………………6

  3.1.1日本社会への影響…………………………………………………………6

  3.1.2中国社会への影響…………………………………………………………6

3.2 不幸な時代の戒め………………………………………………………7

3.3 ピジン研究の中に位置づけ………………………………………………7

おわりに……………………………………………………………………8参考文献……………………………………………………………………9

はじめに

中国と日本は一衣帯水の隣国同士であり、長い文化交流の歴史を持っている。大昔、日本は漢字を表音文字として受け入れ、自分の言語を完備させた。そのため、日本語は中国語と昔から密接な関係を持つと言っても過言ではないだろう。しかし、20世紀のはじめから半ばにかけてよく使われる「協和語」が文化交流にとって生じたものではなく、逆に日本の中国侵略行動に直結するものである。

戦時、「協和語」は日本が占領した多数の地域で現れ、日本人と中国人との交流の唯一の手段となった。当時、この課題に関心を寄せた日本の学者は少なくなかった。だが、賛成者であろうが、反対者であろうが、いずれも日本語を普及する立場に立っている。そのため、彼らがその既成の立場と精神面の規制から脱出し難くて、研究の内容も少し客観性が足りないようだ。

一方、被害者である中国人にとっては、「協和語」をやむを得ず話したが、民族尊厳と感情を傷つける「協和語」に対して非常に嫌悪し、一日も早く中国語の純粋性に悪影響をもたらすこの言語を消してほしいようだ。終戦直後の20世紀50年代には「協和語」の撲滅を呼びかける文章はいくつあった。

ピジンは社会的評価が低く、正式な場合に使われたことはほとんどない。そのため、「協和語」で会話する場面を詳細に記載したのは学術的な論文ではなく、無名の兵士が書いた従軍記や回想録である。それに英語情報の偏重を加え、ここ数十年「協和語」を対象にした研究はあまり多くない。2014年に「協和語」の特徴をまとめた論文があったが、その論文の中に挙げられた「協和語」の例は半分ぐらい小説より抜粋したものである。小説とは、ある程度の真実があるにしても、作者の想像力によって虚構の世界を構築する文学だ。そのようなものを根拠として「協和語」の特徴を論じるのは多少物足りないよう思われた。要するに、「協和語」というピジンについては、これまで十分な考察がなされてきたとは言い難い。

本稿は「協和語」形成した原因とその影響を明らかにすることを目的とする。まず「協和語」の定義と特徴について述べ、次に史料をもとに、「協和語」形成の原因を整理しながら、それがもたらす影響について考察する

  1. 協和語の概説
    1. 協和語の定義

「協和語」というピジンは戦時「満州国」でよく使われている。しかし、このピジンが「満州国」の成立によって生まれたものではない。早くも日露戦争の時に遡ることができる。ポーツマス条約により、日本は遼東半島を租借し、南満州鉄道の権利を得た。その時から、両国国民の交流が頻繁になり、ピジンも機運に乗って生まれた。このピジンは「協和語」のほか、様々な名称が称されている。例えば、「日支合弁語」、「ぽこペん語」、「日満合弁語」、「中日合弁語」、「日満親善語」、「日本語的満語」、「日満語」、「日満混淆語」、「沿線官話」などが挙げられる。呼び方が異なったが、いずれもピジン性を持つことが明らかである。しかし、当時の日本側の資料から見ると、「協和語」という名称が現れない。櫻井(2012)は「協和語」という名称がまず中国語の文献に現れ、また、それが中国人の側が皮肉を込めて名付けたものだと述べた。「協和語」は、日本語の語彙と文法が混入したピジンだけでなく、日本語から入った外来語、満州カナ、そして日本人が話した「下手な中国語」も含まれた広い概念と定義される。

    1. 協和語の特徴

 本質から見ると、「協和語」は交流が順調に進むためにお互いに譲歩した言語文化の妥協と言えよう。おもしろいことは「協和語」を使う日本人がそれを中国語と見なすのに対し、中国人がそれを日本語と思っていることである。

 「協和語」の一番著しい特徴はキーワードを何度も繰り返すことである。初年兵がどのように「協和語」を使って中国人と交流するのかについて元歩兵第百六十三連隊の翻訳であった浦辺淳と黒崎善一は次のように述べた。ある初年兵がトーチカを築く時、土に長い線を二つ描いて、隣の中国人に対して「チャガデチャガデ(这个这个的)、明白か」と聞いた。そして線の間に5、6本の短い線を横に描いて、再びそれを指し、「明白明白か」と尋ねた。そのような真似を何度も繰り返すと、その中国人がようやくわかるようになり、「大君,明白了,明白了,ハシゴ 的」と言った。

 日本人は言葉を反復すると中国語になると考えるようだ。それを聞いた中国人が、日本語とは言葉を重なるものだと理解した。双方がお互いに誤解して、共通の「協和語」が成立したのである。以上より、言葉の繰り返し、また中国語と日本語の混用が言葉の通じない日本人と中国人の交流に重要な役割を果たすことがわかった。

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