论堀辰雄《起风了》之里尔克式生活方式

 2022-06-24 11:06

论文总字数:9115字

摘 要

《起风了》作为堀辰雄的代表作,问世后就备受文学研究者们的关注,出现了各式各样的解读。但是隐藏在该作品中的里尔克式的痕迹可以提供一种新的解读方式。以堀辰雄在创作过程中,与里尔克产生了怎样的共鸣,如何吸取里尔克式思想为突破口,来探究《起风了》中展现的里尔克式生活方式。此外,如果忽视制造了堀辰雄和里尔克邂逅机会的时代的力量的话,难以想象《起风了》获得的成功。《起风了》不是单纯的虚构小说,堀辰雄的人生经历、时代的推动以及从里克尔身上得到的启示共同编织成了这部作品。

关键词:《起风了》,里尔克,命运观,镇魂曲

要 旨

『風立ちぬ』は堀辰雄の代表作として、研究者たちによって様々な解読を進められている。しかし、この作品に隠されたリルケ的な痕跡が新たな読み取り方を提示すると考える。堀辰雄は創作の各段階に、リルケの作品にどれほど共鳴を感じ、リルケ的な思想をどの程度受け入れたかを突破口にして、『風立ちぬ』に影響を及ぼしたリルケ的な生き方を突き止める。また、リルケに接触できる機会を生み出した時代の力を無視すると、『風立ちぬ』の成功は想像しがたい。単に架空な小説ではなく、堀の人生体験や、時代の推進力、リルケからの示唆など様々な要素が『風立ちぬ』を織り成したといえよう。

キーワード:『風たちぬ』 リルケ 運命観 鎮魂曲

目 次

はじめに……………………………………………………………………1

第一章 『風立ちぬ』について…………………………………………2

1.1 物語の成立………………………………………………………………2

1.2 先行研究…………………………………………………………………2

第二章 堀辰雄におけるリルケ………………………………………………3

2.1 芥川龍之介の影響…………………………………………………………3

2.2 リルケブームと古典復帰の風潮…………………………………………3

2.3 作品の過渡期…………………………………………………………3

2.4 『マルテの手記』への共鳴……………………………………………………4

第三章 『風立ちぬ』から見るリルケ的生き方…………………………………5

3.1 恋愛に対する見解…………………………………………………………5

3.2 運命への服従…………………………………………5

3.3 鎮魂曲…………………………………………………………6

おわりに……………………………………………………………………7

参考文献……………………………………………………………………8

はじめに

 長い間、堀辰雄の小説『風立ちぬ』に現れた死生観をめぐった読み方が当該作品研究の主流だとされている。しかし、2013年、宮崎駿が監督した同名映画が公開され、小説『風立ちぬ』をベースにしたこの映画の成功は、「風立ちぬ」への新たな解読を促した。小説の美意識、主人公の仕事について、人称の変換などの視角からの解読が近年研究者たちに進められてきたが、堀辰雄の小説創作に大きな影響を与えたオーストリアの詩人リルケを無視してはいけない。リルケ的な思想は愛と死に対する堀の見解を洗練し、『風立ちぬ』を昇華された。本稿ではこの異なる立脚点に立ち、堀辰雄または『風立ちぬ』におけるリルケを考察したい。

第一章 『風立ちぬ』について

    1. 物語の成立

堀辰雄は昭和初期新心理主義を提唱する代表的な作家の一人であり、死に対する人物の繊細な心持ちを描写するのに格別に長じている。新潮日本文学の年譜によると、堀辰雄は1936年の秋に『風立ちぬ』を書き始め、翌年の12月に書き終わったとなっている。堀氏はこの作品の主題を考えるのに、少なくとも四年を費やした。結核を患った婚約者の節子に付き添うために、青年も一緒に富士見高原のサナトリウムに行き、看病生活の中に愛と死が繰り広げられる物語である。ところで、その四年は実に混乱な時代とも言え、「侵略の軍国主義と絶対天皇主義、国家主義」という思潮が昂揚されていた時代である。つまり、個人や他の民族ではなく、天皇と国家を優先すべきだと主張する思想である。

 堀辰雄が執筆した作品の特徴から見れば、心理描写が得意なのはいうまでもなく、景色の描写に費やした心血も隅々まで現れている。『風立ちぬ』が展開された舞台として、軽井沢と富士見の二つの高原の景色はどちらも西洋的な色彩を帯びている。また、自分が結核を患ったことをきっかけに、死を超えて生きようとする私の人生への望みが強くなってきた。以上のことで、風景にしても、一人の人間の感情にしても、私的な匂いが非常に濃いということがわかる。そして、国家の発展と日本民族の繁栄の時代状況に、自分の幸福を追求するのを主題にしたこの作品は当時どれほど軽蔑されただろう。『風立ちぬ』は一連の「序曲」、「春」、「風立ちぬ」、「冬」、「夜」、「死のかげの谷」からなっているが、「死のかげの谷」が約一年をおいて書き添えられたのが注目すべきである。堀辰雄は『風立ちぬ』を書く前に、リルケに親しんでいたことがよく知られているが、やはり最後の「鎮魂曲」という役割を果たす「死のかげの谷」の書き添えにはリルケ的な思想が大範囲に浸透している。

    1. 先行研究

『風立ちぬ』は堀辰雄の代表作として、昔から様々な解読が展開されている。六つの短編から組み立てられたという性質があるため、『風立ちぬ』の主題の捉え方もそれなりに多数ある。今までの先行研究は視角がだいたい二つに分けられる。「婚約者の死にゆくことを体験する私の生き方への思考」、「二人の愛情が死を超え、そしてその愛情を昇華させる作品」などといった愛情や死生観に重点が置かれる読み方がされている。一方、私小説とも呼ばれ、作者自らの内面を見せようとかいう芸術家のエゴティズムを中心に研究を進める学者も少なくない。

第二章 堀辰雄におけるリルケ

    1. 芥川龍之介の影響

  堀辰雄は一高時代に芥川龍之介に師事した。「芥川龍之介は僕の最も良い先生だった。彼は彼の死をもって、僕の目を「死人の目を閉じる」ような静かに開けてくれた」(堀辰雄、1955)など堀辰雄が言うように、芥川龍之介はいかに堀の中に深く根を下ろしているのだろう。大正時期の文学界では、虚構を否定する自然主義が主流であったが、芥川龍之介の前期作品はどちらも構成的で、自己の内面を隠そうとしている。しかし後期に入り、人生観にしろ、芸術観にしろ、告白の色彩の濃い文学作品に書き換わった。結局文学作品の否定は人生の否定に繋がって、芥川氏の死を暗示した。自然主義の流れを受け継ぐ私小説に長ける堀辰雄は一見芥川氏とは反対で異質的なものを持ちそうだが、実は芥川氏の文学上と人生上の弱みをしっかり見い出し、芥川氏が隠そうとするものを自分が表面に出さなければならないと決心をつけた。従って、堀辰雄は婚約者の死とか、自分が結核病を患ったこととか、人生の中で自分を苦しめることを全て確実に作品に描き、死生愛の主題を一層昇華させる特質がある。この点、堀辰雄の文学作品は自分の人生体験記録とも言える。尊敬する先生の仕事をただ模倣するにとどまらず、自分の魂の生々しさを作品創作の中核として、傑作を多数残すことができた。

    1. リルケブームと古典復帰の風潮

 堀辰雄の文学創作には多くのヨーロッパの作家からの影響が及ぼしている。例えば、文体上はアポリネールの影響を受け、小説の書き方はプルーストなどから霊感を得る。しかし、堀辰雄の魂に痕跡を深く残したのはオーストリアの詩人リルケのほかにはいない。堀はリルケに始めて接したのは昭和9年と推定され、その後リルケに親しんで、リルケの作品を訳しかけた。「世界の文学・リルケ」における生野幸吉の解説によると、1926年リルケの死後、その名声が次第に高まり、ドイツではリルケブームが起こった。リルケのいろいろなイデーが世界にも広がり、昭和五年から15年まで日本にも大きな影響を波及していた。リルケブームを契機に、堀辰雄はリルケに出会い、リルケから受けた影響は堀の生涯を貫いた。また昭和十二年前後、自然主義やロマン主義に対抗し、古典への復帰を主張する新古典主義が流行した。普遍的な美に対して、形だけある美を尊重せず、個人を尊重し、個人の感情や内心を自由に表現しようとするのは新古典主義の特徴である。この時期の二つの風潮に時を合わせ、堀辰雄は文学に丹精し、傑作を次々と作り出した。

    1. 作品の過渡期

  堀辰雄の文学創作は二つの時期に鮮明に分けられる。堀の本来的な考えによると、生きることは現実世界を基礎として想像世界に伸びるのである。作品は人生を刻む一種の方式でもある。そのため、初期においては現実世界と想像世界との距離がわずかで、自分の感情や感動を素直に告白し、自己に即した文学に専念した。だがある時期以降、その両世界の距離は次第に離れ、結核病を患った身と作品の想像世界の中生きる身とは間隔が置かれたが確かでかすかにぶつかっている。作品の推移が起こった原因といえば、堀がリルケに触れ合ったことに注目せねばならない。堀は前期の作品『聖家族』や『燃える頰』などを書くとき、意識的な構成を多く使って、また題材も告白的で、技法や形式的な美を表現するのに取り掛かっていた。『風立ちぬ』にいたると、その内容は一気に内省的になり、自分の現実の人生体験を他人に訴える痛切さが明瞭である。実は『風立ちぬ』の初版が世に出た時、最後の章「死のかげの谷」はまだ完成できず、一年の空白期間を置いて書き添えられたものである。

    1. 『マルテの手記』への共鳴

 堀辰雄はリルケに触れて以来、リルケの作品を翻訳することに手をかけた。その中でも一番深刻なのは『マルテの手記』である。冒頭の「人は死ぬために生きている」を見れば、リルケがこの本の中に自分が生死に対する思考を隠さず告白したことがわかる。またリルケの死生観が堀に大きな示唆を与えた。『マルテの手記』にある市立病院の患者たちを描写する時、こんなことを読み替えた。「ベッドの人々がまるで工場の大量生産の際に、うまい具合で次から次へと死んでいく。しかし、人は人間のために死ぬわけではなく、自分が持っている病気に附属する死を死ぬのである。従って、それは自分の力でどうにもならないことも理解し得る。また、サナトリウムに安静する病人たちも自分が死ぬのを先にはっきり知り、ただ付添人や看護婦たちに感謝しながら死んでいくのである。」(リルケ、1934、p5)『風立ちぬ』の中にも、重病を患った節子と付添人としての「私」がサナトリウムで共に生活するシーンが広げられる。二人は節子の死を知りつつ、それを待っていただけてある。堀は『マルテの手記』にリルケの死生観を参考にするほか、思い出や人の支配力をも取り上げた。例えば、年をとるほどとれば、思い出をたくさん持てる。人が死んだとしても、まるで生きているかのように相変わらず世界を支配していて、「恐怖」と呼ばれる。それは『風立ちぬ』の二人の主人公と呼応して、節子の死後、節子は変わらず「私」が生きる世界にいるようで、「私」が時間の経つに伴った思い出を手に入れられた。

第三章 『風立ちぬ』から見るリルケ的生き方

    1. 恋愛に対する見解

 『風立ちぬ』に展開された恋は、二人が恋に落ちた時から始まる。当時の時代背景や社会状況を見ると、やはり恋愛や婚姻に家庭の影響が非常に強い。婚約が決められない限り、恋愛関係を密かに維持してはいけない。「お父様がいらっしゃったら、もうこんな散歩もできなくなるでしょう」と言って、愛しい恋人にまた会えて、これほど楽しい時間を共に過ごせるかどうかを焦せるほど考える少年の気持ち、夜中に少女が泊まっているホテルに寄り、少女の部屋の窓をずっと見守る姿に心が打たれる。

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