芥川龍之介の「鼻」と魯迅の「辮子」における対比研究

 2022-01-19 11:01

目 次

一 はじめに 1

二 芥川龍之介の経歴と『鼻』 2

三 魯迅の経歴と『短髪の故事』『風波』 4

四 『鼻』と『短髪の故事』『風波』の比較研究 5

五 終わりに 9

注释 10

参考文献 10

芥川龍之介の「鼻」と魯迅の「辮子」における対比研究

张堃洁 20141322029

要旨:芥川龍之介は日本の大正文壇で有名な小説家だけでなく、世界文壇において欠かすことができない作家といえよう。それに対して、同時代の魯迅は中国で最も早く西洋の技法を用いて小説を書いた作家である。その作品は、中国のみならず、広く東アジアにでも愛読されている。日本においても中学校用のすべての国語教科書に魯迅の作品が収録されている。本論文は芥川龍之介の『鼻』と魯迅の『短髪の故事』『風波』を比較しながら、創作背景、表現技法、人物のイメージの三つの面から芥川龍之介と魯迅の作品の異同を分析する。本稿の研究を通して、芥川龍之介と魯迅の対比研究に少しでも役に立つことができればと思われう。

キーワード:芥川龍之介;魯迅;『鼻』;『短髪の故事』;『風波』

一 はじめに

藤井省三の『魯迅と夏目漱石および村上春樹ーーー坊っちゃん・阿Q・牛河利治の系譜 付録・北京で魯迅に会い損ねた芥川龍之介』で書いた通り:「芥川龍之介と魯迅との間には同時代文学者として親しい関係を持ち得た一時期が存在したが、1920年代半ば以降、日中両国がそれぞれ不寛容な時代を迎え、芥川が精神衰弱による自殺に追い込まれていくに対し、魯迅は「彷徨」の後に左翼文学の旗手となった。」残念ながら、二人は現実世界においては会うことができなかったが、文学の世界においては国境を越え、交流を実現したのである。芥川龍之介が1921年4月から7月にかけて上海・北京など中国各地を旅行した際には、魯迅は『鼻』『羅生門』の二編を北京の中国紙『晨報』に訳載した。実は、魯迅は1918年から1919年にかけて、芥川龍之介の作品を大量に読んだため、『鼻』という小説について、魯迅は十分に知り尽くしている。その上に、あの時の中国で、政局が揺れ動いた。特に、復辟事件で、政府が庶民の髪を統一するのような封建的な行為は、魯迅に衝撃を与えた。そして、1920年8月から10月にかけて短い時間に『短髪の故事』と『風波』二篇小説を完成した。

本稿は芥川龍之介の『鼻』と魯迅の『短髪の故事』、『風波』を研究対象にした原因は次のようである。その一、芥川龍之介にせよ、魯迅にせよ、二人ともほぼ同じ時期の人間であり、そして二人とも変動の激しい時期において創作を始めたのである。その二、小説『鼻』にしても、『短髪の故事』と『風波』にしても、全部体の一部分であり、誰にでも持っているごく普通なものである。両作者はその当たり前のようなものを取り上げて、小説に作ったのは、きっと何かのもっと深い意味があるのではないであろう。

二 芥川龍之介の経歴と『鼻』

1、芥川龍之介の経歴

914年に第一次世界大戦の勃発は、大正時代における日本全国に全方位からの衝撃を与えた。数多くの青年作家が文壇に登場した。彼らは明治時代の作家、夏目漱石、森鴎外らと違い、新しい文壇境地を切り開いた。

1916年日本の有名な文芸雑誌『新思潮』は第四回復刊した。今回の復刊に、菊池寛、芥川龍之介、久米正雄、松岡譲ら青年作家に機会をもたらし、文壇にデビューをした。彼らは西欧近代化の個人主義、自由主義を中心にした人間観を持ち、単なる現実の再現ではなく、現実の本質を主体に捉え、それを表現して行く傾向が共通している。個性的なものが尊重され、人間性の分析から総合への方法、意識など理知的な性格も強い。斬新な構想を持ち、技巧を凝らす上、旧素材を用いて新思想を表すことが得意で、読者の好感を深く受けられた。そして、この前の白樺派を取って代わり、大正文学の新基地になた。そのような新旧交代に対して、芥川龍之介は『大正九年の文芸界』という文章でそのままに書いた:

「既に局面は転換した。文壇は旧人を葬つた代わりに、新人を安れる余地はいくらもある。そこで幾多の新進作家が、続々文壇へ乗り出してきた。つまり今度は正反対に機会が新進作家を造り出したのである。」1

芥川龍之介の作品は簡潔で平明な筆致に特徴があり、多く短篇小説が知られている。初期の作品には、歴史物語は題材をして小説を創造することに打ち込んだ。文章を書くのには高度な手法が使われ、いつも皮肉な筆致で一般的な人間の生活の中での悩みを描い、独特のスタイルや雰囲気を持っている文風ができた。1916年に『新思潮』の創刊号に掲載した「鼻」は、芥川龍之介が群を抜いて頭角を現れ、人気が出てきた。さらに夏目漱石に絶賛される。「文壇で類のない作家になれます。」と夏目漱石が言う通り、芥川龍之介の作品は日本文壇に不滅の影響を与える。ジェイルービンは編集し、村上春樹は序文を付く『芥川龍之介短篇集』の中で、芥川龍之介が日本の「国民的作家」と呼ばれる。

「芥川龍之介は日本における「国民的作家」の一人である。もし明治維新以降の日本における、いわゆる近代文学作家の中から、「国民的作家」を十人選ぶための投票があったとしたら、芥川はまず間違いなくその一角を占めることだろう。私見ではあるが、そのリストには彼のほかには、夏目漱石、森鴎外、島崎藤村、谷崎潤一郎、川端康成、とうった名前が並ぶのではないか。確信はないけれど、太宰治、三島由紀夫がその後に続くかもしれない。」2

この国民作家は日本国内のみならず、大洋を超える向こう岸の中国で、当時の知識人の翻訳事業に伴って、著者グループに深い影響を与える。

2、『鼻』の粗筋

芥川龍之介の『鼻』は、『今昔物語集』の「池尾禅珍内供鼻語」および『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」を題材としている。池の尾の僧である禅智内供は五、六寸の長さのある滑稽な鼻を持っているために、人々にからかわれ、陰口を言われていた。内供は内心では自尊心を傷つけられていたが、鼻を気にしていることを人に知られることを恐れて、表面上は気にしない風を装っていた。ある日、内供は弟子を通じて医者から鼻を短くする方法を知る。内供はその方法を試し、鼻を短くすることに成功する。鼻を短くした内供はもう自分を笑う者はいなくなると思い、自尊心を回復した。しかし、数日後、短くなった鼻を見て笑う者が出始める。内供は初め、自分の顔が変わったせいだと思おうとするが、日増しに笑う人が続出し、鼻が長かった頃よりも馬鹿にされているように感じるようになった。人間は誰もが他人の不幸に同情する。しかし、その一方で不幸を切り抜けると、他人はそれを物足りなく感じるようになる。さらにいえば、その人を再び同じ不幸に陥れてみたくなり、さらにはその人に敵意さえ抱くようにさえなる。鼻が短くなって一層笑われるようになった内供は自尊心が傷つけられ、鼻が短くなったことを逆に恨むようになった。ある夜、内供は鼻がかゆく眠れない夜を過ごしていた。その翌朝に起きると、鼻に懐かしい感触が戻っていた。短かった鼻が元の滑稽な長い鼻に戻っていた。内供はもう自分を笑う者はいなくなると思った。

三 魯迅の経歴と『短髪の故事』『風波』

中国の国民にとって、魯迅先生は誰でも知っている有名な作家である。中国で小学校から大学までの国文テキストの中で、魯迅の作品がたくさん収集される。魯迅の優れた成績は文学にあるだけではなく、教育や思想革命などの分野も目覚ましい成果をあげた。魯迅の作品は同時代の苦しんでいた人々に社会変革の勇気と信念をあげ、今の現代人も深刻な影響を与える。だからこそ、魯迅の作品は時代性と展望性両方も持っていると思われる。

魯迅は中国近代文学の創始者として、中国主席の毛沢東に「魯迅の方向は、中華民族の新文化の方向だ。」と評価された。3巨大な社会変革に直面する知識人は真新しい国家を築くため、先進国の発展経験を着目した。一度日本に留学した周氏兄弟は視線を日本に投げた。魯迅は1902から1909年まで明治末期の7年間を日本で留学生として過ごした際、夏目漱石や森鴎外らの影響を受けたと、後年、自ら回顧している。そして北京で1918年本格的な創作活動を始める際には、芥川龍之介、佐藤春夫ら同時代の日本文学を注視し続けた。1917年兄弟二入は外国の文芸書を大量に買い、特に日本の書籍。当時、大正文壇の新生としての芥川龍之介が当然に注目された。周作人の日記によって、二人は1918年に『煙草と悪魔』4と1919年に『傀儡師』5を手に入れ、その後芥川の作品集を次々と購入していた。魯迅は芥川が1921年4月から7月にかけて上海・北京など中国各地を旅行した際には『鼻』『羅生門』の二篇を北京の中国紙『晨報』に訳載し、その後『現代日本小説集』に収めていることを紹介した。

「辮子」に関する二篇小説、『短髪の故事』はNさんが髪を切った後の一連の境遇を私に訴えることである。この小説は清末に政府の要求で男の子の辮子を切る現実を基づき、創造された。ある意味から、それは『鼻』と同じ:皆は内供の鼻が短くになった後、以前よりもっと内供のことを嘲笑うようになった。どちらも保守的な人たらは慣れて当たり前のおかしいイメージに対して、もしそのイメージがチェンジしたら、認めるどころか、逆に一層に排斥し、そのイメージがもとのおかしい状態を戻すまで、そのおかしいイメージを例外なく受けるという現実を暴いた。一方、『風波』は張勲の復辟を背景に、魯鎮の人々が「辮子」の有無をめぐっての物語を展開した。それに対して、『鼻』の中で、内供の鼻があることからなくなったことまで、そしてまたないことからあるようになるまでという展開である。

四 『鼻』と『短髪の故事』『風波』の比較研究

1 創作背景における比較

芥川龍之介は『鼻』を創造した時代はちょうど日本大正時代である。大正時代で、日露戦争の勝利のために、日本全国民のテンションが何かいつもよりたかかった。これも動揺と平和、鎖国と開化が共存した歴史時代である。その閉塞時代の現状において、庶民は苦しんでいた。一方で、龍之介は生後7ヵ月後頃に母が精神に異常をきたしたため、母の実家の芥川家に預けられ、伯母に養育された。11歳の時に母がなくなり、翌年に叔父芥川道章の養子となり芥川姓を名乗る事になった。自分自身の生活経緯、家庭の複雑な関係や社会の矛盾などからの色々な悩みによって、芥川龍之介はスランプになった。ただ書くことを通じて、自分の鬱憤をすっかり晴らすことができた。

『鼻』は『羅生門』と同時代に書かれた作品である。『羅生門』においては、定まった自己の生きるべき道を進まんとする姿を、『鼻』では自らを認め進まんとする姿を描いている。どちらにせよ、芥川龍之介自身の、自らの生き方を定めたいとの強い願望が作品創作の背景になると思われる。

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