『金色夜叉』から明治時代の婚姻観への考察

 2022-01-19 11:01

目      次

一 はじめに 1

二 『金色夜叉』について 3

三 『金色夜叉』の時代 5

四 社会変革は人々の婚姻観への影響 6

五 『金色夜叉』における婚姻観の歴史の局限性 10

六 終わりに 11

致谢 14

『金色夜叉』から明治時代の婚姻観への考察

程敏 20141322019

要旨:婚姻問題は当代ホットの話題になった。結婚難という問題は今中国だけでなく、日本にも同じ問題を抱えている。なぜこの問題を起こすのか、それに時代によって、人々はどんな婚姻観を持っているか、その関係を明らかにしたいのでこの文章を書く。本文は小説『金色夜叉』を通して時代の婚姻問題を分析した。全体を四つの部分に分ける。一つは『金色夜叉』の内容を簡単に紹介した。二つは『金色夜叉』の創作の背景を分かった。三つは明治維新後、社会変革は人々の婚姻観への影響をめぐり、研究した。四つは『金色夜叉』における婚姻観の歴史の局限性を分析した。

キーワード:婚姻観;結婚;離婚;明治時代;尾崎紅葉;金色夜叉

一 はじめに

1 問題の提起

 今、中国は、高度成長の階段にある。経済発展とともに、様々な問題がますます目立てってきている。その中で、特に社会問題が焦点となる。たとえば、「結婚難」という問題は、若者の中で、普段になりつつ。「単身狗」という言葉、今とても流行っている。それは、恋愛しがたい人の生き生きとした例えである。

 一方で、日本社会も同じ問題を持っていて、国立社会保障人口問題研究所の調査によって、50歳まで一度も結婚したことがない人が2015年に、女性で7人に1人、男性で4人に1人いたということだ。こうした人の割合を示す「生涯未婚率」は、10年の前回調査から男女とも3ポイント以上増えて過去最高を更新した。日本にも、結婚問題が日々深刻となって、著しい社会問題となていた。

 日本の歴史の中で、明治維新は近代化の転機として、日本を近代化の道に導き、社会文化と日常生活に大きな変化をもたらした。そのため、明治時代の婚姻観について研究は、特別な意義がある。

 それに、一定の時代の文化作品はその時代の姿を描き、その時代の特徴を反映した。作品はある時代を理解する最もよい方法かもしれない。この時代に著された文化作品について考察することで、この時代の人の婚姻観をより良い理解できる。その中で、尾崎紅葉の『金色夜叉』は「愛情の教科書」として人々に知られている。ここでは、この作品『金色夜叉』を取り上げようと思う。

  1.  研究の目的

 婚姻という言葉は、人間で特有なものである。婚姻はある民族の社会文化の一部として、その民族の民俗や生活習慣や人文などを表す。婚姻によって、その民族の文化を知って、その民族より良い理解できる。

 今、たくさんの人は結婚の意欲がない。しかし、意欲がないというより、現実で結婚は難しいと思う人が多い。今の中国で結婚する時には、「車」、「マンション」、「お金」この3つは不可欠なものになる。人々は物質的な需要をもっと重視する。お金があれば、どんな人でも結婚できる「拝金女」という女の子がいる。人々の婚姻観は以前よりよほど変わった。より多くの人は恋人を見つけないで、結婚もしない。

 明治時代の有名な小説『金色夜叉』は愛情の教科書として、その時代を描写し、その時代の特質を明らかにする。『金色夜叉』を通じて、時代における婚姻観を分析したい。

 

3 先行研究

『金色夜叉』と日本人の婚姻観について、たくさんの学者が研究してきた。まず、『金色夜叉』について神立春樹は『「金色夜叉」——その時代描写』というテーマで研究した。小説で時代の特徴を分析した。洪世峨の『尾崎紅葉「金色夜叉」考:「愛」と「黄金」の闘争』は、小説の主旨を掲示した。日本人の婚姻観について中国で、刘宗凱の『日本国民的婚姻観与生育観』は、客観的な数字で両者の関係を明らかにする。馬玉珍の『日本人婚姻観的変化』は日本人の婚姻の観念の変化について研究した、主に当代の婚姻観の特徴を分析する。張萍の『日本的婚姻与家庭』は時代の順序で、各時代の婚姻の特徴を描く、非常に詳しい。『金色夜叉』を通して、愛情の悲劇を反映した婚姻問題によって研究した学者は非常に少ない。それに、社会変革の時、婚姻観はどんな特徴が持つかについて明らかにしたいので、小説の視点から婚姻観研究しよう。

二 『金色夜叉』について

  1.  作品の大筋

 ミドルクラスの出身の美人鴨沢宮は正月、カルタ会で、銀行家出身の富豪富山唯継に見染められ、求婚された。しかし、宮と貫一は婚約がある。貫一は小さい頃両親を失い、その亡父の恩をうけた鴨沢家の世話になっていた。宮と貫一二人は幼馴染だから、お互いを愛していた。

 その後、宮の両親は富山の求婚を受け入れた。鴨沢は約束を破ったことを恥じるのに家族と娘の将来のため、最終貫一に告げて、彼から理解を得ることが欲しがっていた。補償として、貫一に外国で留学させようと承諾した。それを不満な貫一は愛しっあている宮の本心を信じているのに、不安な気持ちに悩まされていた。何度も宮に彼女の本心を確かめる。しかし、恋人とお金の間に宮は去就に迷った。

 そして結婚した宮はお金で幸せにならなかった。お金は心の空虚を補われない。自分の選択を後悔して、悲しみに打ち沈んでいた。一方、お金の前で愛情の脆さを見ていた貫一はもう二度と愛情を信じないで、銭金によって復仇を思う貫一は、高利貸者鰐淵直行の手代となり、すっかり性格が変わって、冷酷な高利貸となった。

 その後数年後宮は偶然貫一の姿を見て、思慕を募らせた。何度でも貫一を会いたい、自分の本心を打ち上げたい。彼女は貫一の友人荒尾譲介に頼んだのに、役に立たない。貫一は友人の話を聞こうともしない。彼はもう愛情なんで信じないで、同業の赤樫満枝に恋されたことあったが、心を動かさない。冷酷な性格で、殴られたこともあった。

 ある日鰐淵の邸が仇に放火された。夫婦二人も死亡した。貫一は再び一人になった。そして、彼は塩原に旅した。たまたまに隣室の心中を図る男女の話を耳にした。この二人の強いの愛に感動された貫一は大金を与えて、助けてやった。貫一の冷酷の外見の下で暖かい心が生きている。

 さて、宮は出会った後何度も貫一に手紙を書いた。貫一は一度も読まないまま、焼き捨てていた。しかしある日ふと開いて、死亡を待ち受けている哀れな宮の現状が記されていた手紙を読んだ。

  1.  人物の分析

この小説にはいろいろな人物があるが、ティピカルな人物を取り上げたい。

 宮の特徴

 宮は最も顕著な特徴は「拝金主義」というものである。ストーリーの始まり、作者はたくさんんの言葉を使って、宮の美貌を描く。彼女は人々の中に特に目立つ、人々と違いという感じをされますが、黄金の前で、誘惑に負けて、お金の虜になった。ほんとに嘆かわしいなことである。幼馴染の貫一を愛しているが、あまり好きではない富山と結婚したことは、宮の「拝金主義」の現す。

  貫一の特徴

 「愛情至上主義」は貫一の特性である。貫一最初から最後まで宮のことを愛している。宮のために、大切な涙をこぼした。第八章に貫一は「可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたらば、僕の涙で必ず月は雲らして見せるから、月が...月が....月が...雲つたらば、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いて居ると思つてくれ」宮に言った7。とても有名なセリフだと思う、愛に憎しみを抱く。大切な人に裏切られた後、金の悪魔になっても、心の中の愛も消えない。

  1.  主旨の把握

 この小説は愛の悲劇を描く表に、裏にもっと深い社会問題を抱く。お金で変わった人生とお金で失った人間性も「拝金主義」の時代に生じた問題である。この欲望が溢れている社会で、自我を失わないように生きているのは難しい且つ重要なことである。お金よりもっと貴いのは心の純潔である。愛と善心は人に支える力である、愛があるこそ、人生が意味がある。

三 『金色夜叉』の時代

  1. 作者の小さい背景

 尾崎紅葉(1868)は江戸時代で生まれた。19世紀末に彼は日本青年文学社団「硯友社」の主導として、門下生がたくさんいる。彼の文章はロマンチシズムとリアリズムを兼ねる風格があり、心理的な描写が上手である。『金色夜叉』を創作する前、たくさんの小説を発表したが、真の文学史上の地位を取るのはこの『金色夜叉』という傑作である。尾崎紅葉はこの小説を書いた理由は二つある。一つはアメリカのある小説の啓発を受けたということである。もう一つは友達の失恋のことからの影響である。この作品の創作途中で、尾崎紅葉は胃癌で亡くなった。読者に想像の空間を与えている。

  1. 時代の大きい背景

 明治維新は日本近代史上の画期的な変革である。主な内容は、政治面で廃藩置県、封建制度の廃棄、経済面で殖産興業、商工業の発展を勧めた。軍事面で国民皆兵、常備軍が設置された。教育・文化面で文明開化、義務教育の開始があった。一連の改革を通して、日本は封建主義の国から資本主義の国へ歩ていた。日本人は西洋のブルジョアの思想を受けていた。明治初期、奢侈論に現はれたる社会相が出た。そして、進化論と社会解放運動も流行っていた。社会変革とそれらの思想は当時の日本人の婚姻観を随分大きな影響を与えている。

四 社会変革は人々の婚姻観への影響

1 思想啓蒙運動と封建婚姻家族道徳への批判

1.1 思想解放の興起

小説『金色夜叉』最初は宮と貫一は自由恋愛をしていた。その後、宮は既婚の婦人となったが、娘時代失った幸せを探すため、貫一の許しをずっと求めていた。そして、封建思想を見捨てていた。当時、不合理な古い制度と人の個性を抑圧する旧套は変わろうとしていた。

 時代の激動は生活の変化をもたらす。変革は社会の進歩を促進する。政治、経済の革新に伴う、ブルジョアの啓蒙思想も流行っている。内容は主に「人本主義」をめぐる。「人本主義」の思想の薫陶を受けていて、人は封建の礼儀と伝統の観念の束縛を脱していて、個人的な自由、尊厳、幸せを追い求めている。明治初期、政府は「文明開化」の方針を呼びかけ、日本全土で、旧習を打破して、西洋の文明を学び、思想解放する運動が行われていた。

 1.2 思想家の封建婚姻への批判

 小説『金色夜叉』は、宮の両親は封建家族制度の影響を受けていて、銀行家出身の唯継の求婚を受けた、それに娘を口説いた。婚姻の悲劇になった。作者はこの封建婚姻家族制度を批判した。

有名な思想家福沢諭吉は封建婚姻家族の道徳に対する批判はとりわけ深刻である。彼は「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と思う8。人は生まれながら貴賎上下の差別がない。「抑も世に生まれたる者は、男も人なり女も人なり。此世に欠くべからざる用を為す所以て云へば、天下一日も男なかるべからず又女なかるべからず」彼は男女は平等だと思っている9。そして、「男性の「蓄妾」は畜生の行為とされる」。女性が従うべきとされる三つの道と四つの徳もに対しても批判する。福沢諭吉は男女平等の「一夫一婦」の制度を唱え、夫婦はお互いに尊重すべきと出張した10

2 明治時代の婚姻制度の変革

小説『金色夜叉』、著名な家族出身の唯継も宮と「一夫一婦」を貫く。宮の冷淡な態度に対し、唯継は酒色におぼれるけれども、妾を囲わない。一方、婚姻に対し失望した宮は唯継と別れる気がある。

2.1 婚姻の形式の変化

近代の「一夫一婦」制度は資本主義発展の産物である。法律から見れば、以下の特徴がある1.自分の意志で自由に婚約の契約を結ぶ(実は資本主義制度下の婚姻は銭金に支配される、経済に依存する)2.結婚した後の生活に夫婦は平等の権利と義務を持つ(現実に不平等な現象があるが、封建の男尊女卑の関係はずいぶん変わった)3.「一夫多妻」の制度を否定する。公表的に「蓄妾」の制度を廃棄して、「一夫一婦」の制度を儲ける。

    1. 離婚問題の出現

 明治初期の離婚率は非常に高い。「1883年の初めての婚姻統計による結婚率は9.01‰、離婚率は3.39‰、平均3人が結婚すると、1人以上が離婚する。1989年にまで、日本の離婚率は2‰以上に達した」11。なぜこのごろ離婚率はこんなに高い、その時代の問題はいろいろがあるであろう。主な原因は次のようにまとめられる。

 まず、夫婦は一生繋がている意識が薄い。その原因は結婚の基底は強くなかった。金銭は結婚の最も大きな原因となる。物質は婚姻の中で支配的な力である。愛がなければ、いつでも別れる可能性がる。事実上、人々もこの別れの心構えをしている。社会変革中の当時の人は、何があっても相手を大切にして、お互いに助け合いてこの世で暮らしている決意がなかった。所謂永続的な婚姻観がなかった。

 次は、明治初期、婚姻に関する法律は今ほど厳しくなかった。法律があっても、不備がある。離婚における手続きは手がかかるのことはない。それに、その頃夫婦は別居したら、事実上に離婚したと見られ、役場はその戸籍に離婚と記入した。離婚はとても簡単なことになる。

 更に、法律は女性に離婚の権利を与えた。『1898年明治民法』が実行されて、法律的に規定して、夫婦双方も離婚の申請書を提出できる。主婦は離婚の権利を得たため、何らかの主婦は夫の圧迫を耐え忍べないから、離婚を申し込む。権利の獲得主婦に自分の婚姻に自分で決めさせる。

 以上述べたことは明治時代の離婚率が高い原因であった。離婚を提出するかしないか、自分の意志にかかると思う、そのため、人々の観念は非常に重要である。

3 維新後婦女地位の変化

小説『金色夜叉』の中、結婚した後、唯継はずっと宮を大切にしていた。重要な宴会に出席する時に妻を連れて行く。宮は家族の中で地位が高いと見られる。しかし、貫一に対疚しい念で、宮は子供を産まない。宮は生産自由を持っている。

 3.1婦人解放運動

 19世紀末、岸田俊子、景山英子など優秀な女権運動家が現れた。20世紀初期、又樋口一葉、与謝野晶子など過激派が現れた。彼女たちは詩歌、小説などの形式で、古い婚姻家族制度を批判した。主婦は封建圧迫の中から解放して、人格と自由を求めることを呼びかけた。

 思想上の吶喊が最も高いのは与謝野晶子であった。彼女は論文、詩歌などの形式で、伝統的な婦道を排撃して、「男尊女卑」の思想を批判する。与謝野晶子の『貞操論』は旧婚姻道徳の虚偽を批判する。彼女の大胆な思想は当時の日本を騒がしただけでなく、中国の「五四運動」も影響を与えた。魯迅の『我之節列観』、胡適の『貞操問題』なども与謝野晶子の観点を褒めた。

 たくさんの婦女解放運動の先駆者は婦女たち解放の道に導いた。人前に顔を晒さない婦女は公の場所で社会活動をし始めた。婦女は馬に乗ることや山に登ることや相撲を見ることなどの禁忌を破った。

婦女解放運動の勢いが盛んていた。

 3.2女子の教育

明治政府は「女性は学がないのが徳である」という観念が変わった。女性の教育を大きく発展させていた。国の発展を図る前提は全民族の文化水準を高めることである。その上、最も重要なのは婦女を教育することである。婦女は子供の教育の責任を持つので、母親の文化水準を高めることで、次世代の文化素質が高められる。そのため、政府は1871年に初めて5人の女子留学生を国外に派遣した。1872年に『学制』が発布され、全国の女性は男性のような同じ就学機会を与えた。その後、女子教育は迅速に発展していた。1885年小学校の女子の就学率は43.8%に達した12

 3.3婦人と生育

 明治維新前、庶民の生活は極めて貧乏だったせいで、嬰児を溺れ死にさせることや堕胎が頻繫に行なわれていた。明治維新後、日本政府は「富国強兵」、「殖産興業」のスローガンを作り出して、人口の増加を励ました。積極的な生育政策の実行に伴い、人口の数はだんだん増えた。明治20年、人口過剰の趨勢が出現した。しかし、戦争のため、日本政府は積極的な生育政策を変えなかった。第一次と第二次世界戦争で政府は「早婚は興国、晩婚は亡国」と思い、男女が早く結婚し早く出産することを勧めた。当時に婦女は生育の工具に過ぎない。

五 『金色夜叉』における婚姻観の歴史の局限性

 明治時代に創作されたこの小説はその時代の人の婚姻の縮図だと言える。社会変革において日本人は西洋の先進的な文化を学ぶ同時に、その中の糟粕も一緒に取り込んでいた。

例えば、「拝金主義」は人々の思想を迫害した。小説の中で、宮の両親は娘の婚姻に対し、決定的な作用をして、彼女に銭金の道を導かされた。もちろん宮の自分の意志も重要である。ところが、小さい頃からこの「拝金主義」の観念は両親によって形成さられたことも無視できない。また「文明開化」と「自由恋愛」を主張していたのに、「父母の言いつけと仲人の取り持ち」というのは当時で現実であった。多くの人は独立の婚姻観をもっていない。更に、物質社会に愛を失ったのは最も深刻な問題である。婚姻に愛を欠くのは普通な現象である。

お金で目を誤魔化した人々は大切なものを失った。お金で鴨沢は以前の恩情を忘れて、仁義を失った。お金で宮は恋人を捨てて、幸せを失った。お金で、貫一は守銭奴になって、人間性を失った。この世界で、彼らを救うものは愛以外ものはない。最後に、鴨沢は貫一の状況が気にかかった。宮は自分の過ちを意識して、貫一に懺悔していた。貫一は強いの愛に感動して、善心を出した。愛は彼らの亡くなった魂を蘇った。

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