『人間失格』に現れた日本文化の様相について

 2022-01-19 11:01

目 次

一 はじめに 1

二 太宰治と『人間失格』 2

三 『人間失格』に現れた日本文化 4

四 おわりに 9

致 谢 13

『人間失格』に現れた日本文化の様相について

倪雁俊 20141322033

要旨:文化というのはある地域あるいは特定の人たちの存在方に対する描写であり、人たちが生きている時のしゃべり方、行為習慣、意識と認識方である。特定の文化は特定の人と地域とを整合し、導くことができる。それに、文学著作は文化の主の表す方である。『人間失格』はあの時代の著作として、多角度の文化を反映できるのも確実だ。本論は「戦後文化、階級文化、罪の意識」の三つの文化を中心として、日本独特の文化を分析してみる。

キーワード:太宰治;『人間失格』;戦後文化;階級文化;罪の意識

一 はじめに

太宰治は昭和初期のカリスマ作家で、『斜陽』、『人間失格』など、数々の名作を残したが、39歳の若さで、愛人と共に玉川に入水して亡くなった。死後50年以上経った現在にも、根強い人気があり、日々、大勢の人が彼の墓を訪れている。

彼の作品である『走れメロス』が日本の国語の教科書に編集された。授業中は、ぐっすりねむりこけてしまう出来の悪い生徒であっても、太宰治の年譜で、薬物中毒、自殺とあるのが覚えられ、いつもながら子供心に強い印象を残したと言われている。

一語で言えば太宰治は現在の人に対しても影響の深い人であると言える。新潮文庫のいちばんの売れ筋は、太宰治の『人間失格』であるそうだ。井上ひさしは自著の『太宰治に聞く』の中で、「夏目漱石、宮沢賢治と並んで、太宰治もいまでも現役だ」1としている。彼は死後50年以上の今日にも、毎年の「桜桃忌」に、彼の墓に熱狂なファンたちから花がいっぱい飾られているそうである。

東郷克美氏は『人間失格』の内容について「『人間失格』は女に惚れられて、破滅していく男の物語。このことは主人公の不安と恐怖の根底にあるものを考えるとき重要な示唆を与えるように思われる。」2と述べている。滅びの文学で頽廃という危険性が込む太宰文化といわれている。のちの批評家たちはほとんどこの規定から出発、これに対する同感、或いは反応を軸にして、展開しているようである。例えば、高橋和己の「滅びの使徒」という評価がある。また、竜井藤一郎氏は『太宰治集』で「『人間失格』の次の主題が仮に考えられるとするならば、それは『人間復活』であろう。」と述べる。死と生はただの一時的な状態であり、精神が主に、精神の幸せと精神の豊かこそ、人間の生き道だという考えを述べたいかもしれない。

二 太宰治と『人間失格』

2.1 太宰治の生涯と「失格」の結末

本名は津島修治で、青森県下有数の大地主の子に生まれた。父・源右門は衆議院議員、貴族院議員。17 歳頃、習作『最後の太閤』を書き、また同人誌を発行。作家を志望するようになる。弘前高校時代には泉鏡花や芥川龍之介の作品に傾倒する。

同人誌『細胞文芸』を発行すると辻島衆二の名で作品発表、井伏鱒二に指導を受ける。このころは他に小菅銀吉、または本名でも文章を書いていた。東京帝国大学に入学し、以降井伏鱒二に師事した。

太宰はとうとう死ぬことによって、「人間世界」から離れた。徹底的に「人間失格」の念願を実現した。言い換えれば、「人間失格」だと自覚したから、死亡によって「人間世界」から離れたのではなかろうか。しかし、「人間失格」というのは本当に彼の自覚であろうか、それは、彼が他人に対する批判ではないかと疑問を抱いているのである。太宰治の出身地・青森県金木町で桜桃忌の行事を行っていた。

2.2 作品の一覧と『人間失格』の位置

「誰でも言うように、太宰治の文学は前期、中期、後期の三期にわけて考えるのがやはり便利である。前期は1932年から1937ころまで、単行本『晩年』『虚構の彷徨』『二十世紀旗手』を中心とする時期であり、中期は1938から1945年まで、短篇『満願』あたりから『お伽草紙』にいたる時期であり、後期は1946年から1948年まで、戯曲『冬の花火』あたりから『人間失格』にいたる時期である。それぞれ左翼崩壊時代、戦争の時代、戦後惑乱の時代に対応している。」3前期の清潔、中期の健康、後期の終結の三期と分けられている。この作品は昭和八年四月から七月まで、分載発表出、『晩年』に収入した。作者が「文壇処女作」と自認する作品であるが、実際は同年三月に『魚腹記』が既に発表された。その後『逆行』や『道化の華』『二十世紀旗手』など前期の作品があった。前期の初めは鋭い感受性により、清潔な佳作を書いた。しかし、太宰は生まれながらの「罪の意識」(詳細の論述はあとに譲る)や傷つきやす中期は割りに明るく健康な安定期であったとよく言われている。結婚後の安定な生活から作品は安定期に入った。『姥捨て』『女生徒』『駆け込み訴え』『走れメロス』『新ハムレット』『津軽』などの名作を書いた。神話や伝説を素材にして、そのうえに肉付けようというより、自分の才能を開花させ、太宰らしいものを織り込んだのではないかと思う。「古典類のパロディである」と磯貝英夫がそのように定義したのだ。

以上は簡単にその作品を辿ってきた。初期からも見てきたように太宰は実生活の中でも、作品の中でも「生まれてすみません」というエピグラムを忠実につらぬき通したのである。最後に「人間失格」と宣言しながら自殺した。「人間失格」というのは彼の自分の生涯に対するまとめである同時に、作品に示されていた優越感と卑怯感という矛盾の気持ちの総決算でもある。だから、最後の作品の『人間失格』は彼の生涯と創作の集大成の作であると言われている。『人間失格』は非常に重要な位置を占めていると言える。

三 『人間失格』に現れた日本文化

 

3.1戦後文化について

日本政府は積極的な戦争準備にもかかわらず、戦争は失敗で終わった。敗戦後の日本は何もかも変わっていた。戦後の日本はほぼ廃墟になった。ただの三ヶ月の中で東京だけで千人規模の人たちは栄養不良で死んだ。当時の日本人は飢えと貧乏な生活に入り込んでいた。戦争から深い影響を受けた太宰治は再び罪悪感、絶望感や虚無感に襲われた。敗戦の混乱の世界にあった太宰治は戦争中に持っていた希望が一気に見失った。今度は滅亡のようなものにつきまとわれた。この「人間社会」が「正」や「不正」が定義できなく、不可解なので、いっそ自殺で「人間失格」になろう。日本革命運動と侵略戦争などまったく定義のできない時代に、一体何が正義、何が正確なのだろうか。判断できない時期には、転向者の不安がもっとも強いのは太宰の例ではなかろうか。

平野謙氏の話を借りると、「すぐれた芸術家は、すべて運命の子であると同時に時代の子でもある。」太宰治はまさにその例である。 「太宰の三期がそれぞれ左翼崩壊の時代、戦争の時代、戦後惑乱の時代にそれぞれ対応する」と平野謙氏が書いてある。「そのような動乱の歴史のまんなかに太宰治は一片の木の葉のような裸身を横たえつつ、「日本の老若男女すべてが死ぬ覚悟を極めた、実に悪い時代」に、一見ささやかな「愛情の問題だの、信仰だの、芸術だの」というような「自分の旗」を守り抜いてきたのであります。」4そんな波乱万丈の人生はそのような「狂瀾怒涛の年月」と関係ないとは言えないだろう。

「裏切り者なら、裏切り者らしく振舞うがいい」、つまり太宰の考えでは、滅びる側の人間である以上、自ら滅びの道に進んでいかなければならない。裏切り者である自分を自らもっともっとダメにし、一番だらしなく見える人間になろうとした。だらしないだけでは、まだ自分に甘えている感じなので、いっそ失格になろうかと、太宰は自分の手で自分を精神の囹圄に入れた。「文は人なり」と言われるように、「滅びの姿」は太宰文学のあちこちの溢れている。『父』の中の父、『斜陽』の直治、『人間失格』の大庭葉蔵等、無頼派作家の太宰の筆においた人物像はほとんどデカダンスの生活を営み、最後に「人間失格」になって、破滅の運命に辿っていく。太宰文学は大体その実生活と一致しているのではないかと思われずにはいられない。「人生もドラマの一つ」と考える太宰自身はそれらの人物像とリンクしていると言える。

何度も自殺を図った太宰治は自殺でその伝奇の一生を終わった。その自殺は一体自分に「人間」から徹底的に「失格」に陥った者であると意味づけたのか。それとも自分はとうとうこの「失格」の「人間世界」から解放された道に辿ったのか。これは「逃げる」かもしれない、「不正」かもしれないが、こういう不安定な太宰は戦後文化に深く影響されていた。

3.2 階級文化について

日本では「年功序列」という経済意識があるが、実はこの意識が経済だけでなく、社会の様々なところもある。こういう、先輩と後輩、金持ちと貧乏の人の階級感は階級文化の表現だ。階級というのは身分・職業・学歴・財産などにより形成された社会集団。その階級の社会集団はいろいろな生産活動したあげく、階級文化になった。資本主義社会が成熟すればするほど、資本家と労働者の階級分化が進んでいる。日本は資本主義として、その階級文化さらに明らかだ。太宰は大地主である父津島源右衛門と母たねの六男として生まれた。家庭の差別待遇、お金持ちの子供時代と貧乏の現在の太宰はまさしく、階級文化の激突のところに立った。

「父を恐れていた」とは子供心にも太宰の実感であったろうし、反面また必要以上に威張りたがる父のなりあがりの気取りを内心ひそかに嫌悪していたのではないかとも想像される。父母の愛にあまり恵まれなかった事実、また家内の傍系に育った負い目は家からの疎外感、もしくは権威への反骨心を産んだ要因とされてきた。母と思って甘えてきた人が実は母ではなく、母と呼ばなければならない人が自分から距離を置いていると意識するとき、太宰の内部ではどんなに激しい渦巻きを引き起こしたか想像できるだろう。同じ名門出身でありながら、ほかの家族とは違った扱いをされてきたのではないか。それは何のためだろう。ひょっとして「自分は父と叔母との間に生まれた不義の子ではなかったかというふうに考え違っても不思議ではない。」総じて言えば、自分は「生まれつき」の「失格者」であり、生まれながらにして、実の母や父からも「失格者」のように扱われていたのである。

その家から生まれたこと自体は「失格」であり、この「失格」意識は特に彼が後にプロレタリア活動に参加してからいっそう強くなったのである。しかし、太宰が生家や肉親に対して一種の妄想を持っているにしても、あっさりと「家」から離れるわけにはいかない。そんな矛盾の心境をもっている自分は伝統の意味での親孝行の角度から見たら、また一種の「失格」になったのではないかと思う。幼い頃から周囲や学校に恵まれたお金持ちの坊ちゃんという差別待遇は、何時の間にか、自分は他の人と違う特別な種類の人間だという名門出身の貴族意識と高い誇りを産んだ。しかし、それは誇りである同時に、恥部でもある。既に述べてきたように、太宰自身はその礼儀と格式に支えられた君子然とした家にはどうしても融けこめようもないのである。家の中軸になった父や兄にはどうしても親しみが感じられないのである。逆に家で地位のない下男や女中のような世の中の弱者に人一倍の好奇心を持っているのである。侮辱の口調で言いながらも親密感を持っているのである。これは後の彼の交際を見てもわかる。世の弱者に対面すると、一種の優越感や余裕を感じずにはいられない。彼らとの交際を通じて、家に対する矛盾の心のストレスが解消できるのだろう。その家に対しては、太宰は融け込めようとしても融け込められないから出てきた恐怖感と嫌悪感、拒否しようとしても優越感や血の繋がりでてきた依頼感や不安、そんな矛盾名気持ちで、あれこれと思い悩んだ挙句、彼は「生まれてすみません」というのに脱出を求めようとするのではないか。「罪」の意識の強い太宰は何度の自殺をへていても心の囹圄から解放できぬために、「人間失格」となったのだ。

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