文学作品に見られる女性崇拝思想ー谷崎潤一郎と林語堂の比較

 2022-01-19 11:01

目       次

一 はじめに………………………………………………………………………1

二 谷崎潤一郎の女性崇拝思想について………………………………………4

三 林語堂の女性崇拝思想について……………………………………………7

四 二人の女性崇拝思想の類似点………………………………………………9

五 二人の女性崇拝思想の相違点………………………………………………15

六 終わりに………………………………………………………………………18

致谢…………………………………………………………………………………24

文学作品に見られる女性崇拝思想

—谷崎潤一郎と林語堂の比較

孔欣欣 20141322001

要旨:19世紀後半から20世紀にかけて、女性の解放を求める運動がヨーロッパやアメリカにおいて盛んになっていた。日本と中国もこの風潮の影響を受け、女性崇拝思想を持っている一部の作家が生まれた。谷崎潤一郎と林語堂は、日本と中国における典型的な女性崇拝者である。両者は異なった人生経験と社会の背景を持つため、それぞれに異なる作品の特徴を示す。しかし、女性崇拝者という点からは共通する特徴を見つけることもできる。本論文は両者の作品を主として、作家の経験や時代思潮を交えて論じることで、両者の女性崇拝思想の類似点と相違点について初歩的探究を行う。「女性崇拝思想は母性崇拝に属している」、「女性は耽美主義の化身である」、「二人の女性崇拝思想は時代の束縛を超える」、「限界性がある」という四つの類似点、そして、「女性美に対して重点が異なる」、「女性の社会性の程度が異なる」という二つの相違点について分析し、谷崎潤一郎と林語堂の女性崇拝思想を究明する。

キーワード:谷崎潤一郎;林語堂;女性崇拝思想;比較

一 はじめに

1 研究背景

 日本では一八八〇年代の自由民権運動を契機に、景山英子や岸田俊子などによる女性解放運動があった。また、「新しい女」1として女性の解放と自由を主張した平塚雷鳥などによる青鞜社2の運動が起こっている。一方、明治維新後、新政府は「欧米列強に追いつけ追い越せ」というスローガンのもとに、欧米列強に比肩できる国家体制を築き上げようと猪突猛進してきた。いよいよ強大化していく国家権利の支配のもとで、その必然な反動として、作家たちは現実の重圧に目を背け、自分の避難所としての己一人の文学世界に閉めこもろうとした。谷崎潤一郎の場合は、独自の官能的の世界を繰り広げ、自らの耽美退廃的な文学空間に立てこもり、妖艶な悪の華を咲かせたのである。女性解放運動の最中で、風変わりな女性像をあえて作り出しており、人間の内実に深く潜む官能的な欲望を見抜いている。谷崎の作品に見られる女性拝跪やマゾヒスティックな姿勢は、彼の女性崇拝思想を示している。

 中国では、一九一九年の五・四運動の際、西洋の近代思想に接した一部の先進的知識人によって、人間の解放運動が新たな高まりを迎えた。その一方、一九一九年の秋、北京大学が中国で初めて女子学生の入学を許可し、以後、各大学がこれに倣って男女共学制3を導入するようになった。しかし、二十年代に入っても女子学生の入学はまだ少数に限られ、良妻賢母の女子教育が政府の指導者によって提唱されていた。過去二千年余りの封建時代において、三従四徳などの儒教の道徳規範は中国人の価値判断の基準とされてきた。しかし当時の男性知識人たちによって、良妻賢母の女子教育の批判、女子教育や貞操問題についての様々な議論、恋愛と結婚の自由、経済的独立などの女性解放の主張が行われるようになってきた。このような時代の動きの中で、林語堂は「男女有別」に対する「男女共学」を唱え、新しい女性を象形し、儒家の道徳による女性抑圧を批判している。

2 先行研究

崔海燕(2009)は、

谷崎と林語堂の象形した南子像の大きな違いによって、二人の作家の女性観やそれぞれどのような国の事情と時代の状況を究明している。『麒麟』では、南子の奔放な妖婦ぶり、毒婦ぶりがさらに徹底している。『子見南子』の南子は、近代的思想に目覚めて独立の人格を獲得した新しい女性である。二つの南子像を比較すると、作家の個性差異だけでなく、日露戦争後の一九一〇年代の日本と封建軍閥に支配されていた一九二〇年代の中国それぞれの国の事情と時代の影を説明している。4

と述べる。崔海燕(2009)は主に時代背景と作家の女性観を分析するものの、作家各自の人生経験と伝統文化の影響についてはあまり考察していない。人生経験と伝統文化の影響も作家の女性観の形成の要因であると思われる。また、崔海燕(2009)は二つの南子像の違いを中心に、谷崎と林語堂の女性観の違いを展開している。しかし、谷崎と林語堂は同じ時代に成長し、彼らの女性観の類似点を見つけられる可能性がある。

 谷崎潤一郎の女性観についてこれまで多く研究されてきた。林少華(1989)は、谷崎を創作した女性像を具体的に分析し、谷崎の女性観について深く研究を進めた。また、福田博則(2011)は、谷崎がデビューした明治末年の作品群と、そこに登場した女性像を追って分析し、谷崎の初期作品に見られる女性観を考察している。谷藤葉月(2005)は、「谷崎にとって、女性はまた神として拝跪する対象でもあった。」5と述べており、谷崎の女性崇拝思想を認識している。『痴人の愛』を中心に、谷崎のいう「玩具」としての女性像と、「神」としての女性像の創作意図を説明している。また、吉美顯(2001)は、

時代の別に違う様相の女人違が登場するが、時に悪魔的、時には娼婦的な女として現れる。谷崎が関西移住後、古典回帰を迎え、日本的な女性の美を描き始めるのである。6

と述べており、「谷崎にとって、『美の標的』は官能的な女体である。」という結論を出した。以上の研究はほとんど谷崎の描いている女性像と女性崇拝思想に着目している。

 林語堂の女性観についての研究は中国国内に限られる。王兆勝(1998)は、林語堂の女性崇拝思想と形成の要因を全面的に説明している。また、郭運恒(2006)は、林語堂の女性崇拝思想を肯定し、男性の立場を立って、女性の心理状況を全面的に反映するというわけではいかないという限界性を指摘した。薛文娟(2013)は、『京華煙雲』7における女性像を分析し、『紅楼夢』が林語堂に与えた影響を説明している。以上の文章は林語堂の女性崇拝思想を具体的に考察している。

 以上の論は谷崎と林語堂のそれぞれの女性観を分析している。しかし、谷崎と林語堂の女性崇拝思想を詳細に比較する論については見られない。彼らの作品は同じ時代に創作されており、さらに、彼らは女性崇拝思想を持つ男性作家である。谷崎潤一郎と林語堂の作品の対比を通じ、彼らの女性観の類似点と相違点を明らかにしすることにより、彼らの女性崇拝思想を深く理解することができよう。

3 研究方法

 研究方法としては、まず、中日両国の時代背景を踏まえ、両者の人生経験を通じ、谷崎潤一郎と林語堂の女性崇拝思想の形成の背景と理由について論じる。さらに両者の作品から、谷崎の『細雪』8と林語堂の『北京好日』9を取り上げ、それぞれの女性崇拝思想を考察する。この二つの作品は第二次世界大戦の背景に作られ、谷崎と林語堂の成熟した作品である。ほかの作品に比べ、より全面的に作家の女性観を展示することができる。谷崎と林語堂の作品に見える女性崇拝思想の特徴を比較し、類似点と相違点を探求する。そして、19世紀後半20世紀初頭にかけての谷崎と林語堂の女性崇拝思想の進歩的な意義と限界性を検討し、その社会的な影響について考察する。

二 谷崎潤一郎の女性崇拝思想について

1 『細雪』にみられる女性崇拝思想

 明治維新以降の日本、西洋の女性解放運動の影響を受けたにもかかわらず、「男尊女卑」という伝統的な観念は完全に変わったというわけではない。しかし、谷崎潤一郎はワイルドなどの耽美主義の影響を受け、「すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。」10と述べる。彼はこの考えを文学作品に取り入れ、美しい女性を強者として、男性を弱者として、女性を崇高な存在と捉える崇拝を示す。「聖母型」の女性は谷崎潤一郎が古典回帰した後に、主として創作する人物像である。『細雪』における蒔岡四姉妹は極めてその典型的存在であり、彼女たちの美しさにもそれぞれの特色がある。小説は美人であるにもかかわらず縁遠い三女雪子の5回に及ぶ見合いを中軸に展開してゆく。船場の旧家、蒔岡家の四姉妹の生活を提示し、彼女たちの女性像には谷崎の後期の美意識が含まれる。長女鶴子は「十五六年の変遷を経て、六人の子を生み、暮し向きもだんだん以前のように楽ではなくな」(中巻十五)っているにもかかわらず、「目鼻立がはっきりしている上に、顔の寸が長く、髪はと云えば昔の平安朝の人などのように立つ」(中巻十五)と描写される。また、三女雪子は「一番日本趣味な」、「一番細面の、なよなよとした痩形であった」(上巻六)と表現される。彼女は京女であり、伝統的な日本女性の美徳をもって、素晴らしく優しい人柄で描かれる。末娘妙子は「一番西洋趣味な」、「顔立なども一番円顔で目鼻立がはっきりしてい、体もそれに釣り合って堅太りの、かっちりした肉付きをしている」(上巻六)のであり、四姉妹で一番自由である。彼女は手作り製品を頼んで、生活費を稼ぐ。保守的な観念に挑戦し、自分で配偶を選択することを守り、家族の反対を顧みない。彼女の美しさは、魅力的な現代の美しさを反映し、当時の伝統を破るものだ。二女幸子の美しさは「ちょうどその中間を占めていた」「両方の長所を一つにしたよう」(上巻六)と説明される。『細雪』の描写は、ほとんど谷崎の夫人松子がモデルの幸子に密着して進められ、天然の美質をもつ雪子と、独立心が強く性的にも奔放な末娘の妙子が対称的に描かれる。この小説は女性を美の象徴として、谷崎の女性崇拝を表現している。彼は日本の伝統的な女性像を雪子に託して、自らの「永遠の女性」として描いたと考えられる。「美」ということは彼女たちに短い永遠に達する。その時の谷崎潤一郎は、伝統的な美しさを持つ女性像を追求した。彼の女性崇拝は、より深いレベルに入った。

2 要因分析

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