20世紀九十年代日本の歌から見るものの哀れの意識

 2022-01-19 11:01

目         次

一 はじめに 1

二 ものの哀れについて 2

三 歌詞から見るもののあわれ 3

四 九十年代の歌曲の中で「もののあわれ」が現れた原因 7

五 終わりに 11

致 谢 15

20世紀九十年代の日本の歌から見るものの哀れの意識

杨静 20141322027

要旨:日本歌曲の中で、きれいな歌詞はたくさんあって、各時代は各自分の特徴がある。ある歌詞は自然風景の描くことを通じて、楽しみと幸せの気持ちを表現している。あるいは、当時の社会状況、例えば戦争や経済の崩壊などについて、消極的な気持ちを表現する。本文は20世紀90年代の日本流行歌曲の歌詞の分析することを通じて、前世紀90年代のバブル経済が崩壊時期、歌曲の歌詞が現れた画面感と当時の状況について人間の気持ちを説明する。これから歌詞の文学性と芸術性、及び歌詞と日本伝統的な美学意識「物の哀れ」の繋がりを研究する。

キーワード:物の哀れ;バブル経済;享楽主義

一 はじめに

 子供の頃から音楽が好きである。大学に入る前に、日本語の歌もいろいろ聴いたことがある。しかし、あの時は日本語がわからないので、歌詞の意味を理解できなかった。ほかの人の翻訳に通じて理解するしかないものであった。ただ、「翻訳は芸術の一面である」というような話によって、もし翻訳の水準は高くなければ、歌曲の美しさは表現されない。日本語を勉強し始めたあと、歌詞の意味もだんだんわかるようになった。多くの歌詞の中にある芸術性と文学性に気をつけた。だから、日本語歌曲の歌詞の芸術性と文学性を深く研究したいと思う。

 この議題について、中日両国における既成論文と学術書を調べてみた。中国の評論界は一般的に、日本語歌曲の中に、景色を描いて、相応的な気持ちを表現する方法を分析して、歌詞の自然景色と文学性の繋がりを論証している。例えば、『上京・望郷ソングのなかの風景』という論文の中で、筆者は日本戦後経済高速発展するとともに、ふるさとに離れた人たちはふるさとの風景に中心して、ホームシック文化が現れた。ふるさとの自然風景をきっかけに悲しいホームシック風の歌がいろいろ作り出された。

 一方、ある文章は歌の自然観と宗教意識から、歌の文学性を論証する。例えば『「北国之春」之文化内涵探析』という論文の中で、筆者は、日本の特殊な地域と環境や日本人に不安感と孤独感に与える結論を提出した。なお、中国の禅宗意識の導入したので、日本人の寂しくて虚しい審美意識が形成された。この意識は日本文化に深い影響を与えた。『北国の春』の中にもはっきり表現されたとある。

 しかし、条件に限られてしまったので、この議題に関して日本側の研究成果が見つかられなかったが、サーチエンジンの統計結果から見て、日本語歌曲について近年以来の変化が注目されている。あるいは、重視されるポイントは歌のメロディーから歌詞の内容に変わってきた。これから、バブル経済が崩壊していた20世紀90年代を例として、当時の日本歌曲の中で、歌詞の境地と日本伝統美学意識「物の哀れ」のつながりを論証しようとする。

二 ものの哀れについて

 「ものの哀れ」は日本伝統的な美学意識にとして、数百年前、日本の古代文学作品から表現されていた。たとえば歴史著作『古事記』、『日本書紀』及び日本第一部和歌集『万葉集』と世界第一部長編小説『源氏物語』。特に『源氏物語』の作成は、日本伝統的な審美意識「ものの哀れ」の形成に大きな力を入ってきた。そのあと、江戸時代の国学家本居宣長は『源氏物語』について研究して、整理した。彼の話によると、まず「あわれ」は、元々客観的なものを聞いて見たとき、心は触れて、感想が出てきたのである。今の話で言えば、「あ」とか「お」などのことである。次に、「あわれ」は悲しいものだけではなく、楽しさや嬉しさと面白さなど、「あ」と「お」の慨嘆することがあれば、全て「あわれ」ということである。「もののあはれ」とは、「折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁」のことをと言うことだ。

 中国の学者叶谓渠先生の話によると、「もののあわれ」は悲しさと寂しさの他には、同情、感動と壮美な意味も含む。悲しさとは「物の哀れ」が含んでいるいろいろな感情の一面だけで、本当の「もののあわれ」は、人間と世界共にさまざまな感情をなめつくして、お互いに共鳴することである。その共通感と共鳴感は、日本伝統文化及び伝統美学の重要な表現である。

 「もののあわれ」という美学意識は『源氏物語』などの古代文学作品から続いて、近代の日本作家の著作の中にも現れている。例えば川端康成自分のによると、彼の作品は『源氏物語』に深く影響された。それで、川端康成の作品の中で、他人の運命に嘆いで共鳴して、世の中のすべてと共生している意識がはっきり見られている。

三 歌詞から見るもののあわれ

 

日本流行歌曲の歌詞の境地は日本伝統美学「もののあわれ」を表現することを論証するために、前世紀90年代の歌曲を例として、部分を選んで説明する。

 私は選んだ歌曲は尾崎豊の『I LOVE YOU』、X-Japanの『Forever love』、と中島みゆきが作曲と作詞の『愛される花 愛されぬ花』。

 まず、20世紀80年代、日本学園におけるいじめ問題は大変であった。物質生活が豊かになったが、学生たちの精神生活はまた虚しくて寂しくなった。反逆な気持ちは「十代」人心の中から現れて成長する。その時の尾崎豊がだんだん人に知られるようになった。社会と学校の不公正と戦って、夢と愛を追うことを歌っている尾崎豊は1980年代から1990年代で多くの人の共感を引き起こした。「十代」の人の精神的のリーダーとして、一躍して大スターになった。反逆なアイドルと代弁者として、「時代の歌手」と呼ばれている。それで、彼が1991年に発表した歌曲『I LOVE YOU』を選んだ。この曲は絶望な気持ちを含んでいるラブソングであったが、翌年、26歳の尾崎豊が意外に死亡してしまったことは、この曲にもっと豊かな感情を与えた。

 次に、20世紀80、90年代日本の有名なロックバンドX-Japanの『Forever love』を選んだ。ロックとメタルバンドとして、X-Japanは1982年成立して、1989年までもう日本一番人気なバンドになった。この曲は1996年に発表されている。翌年の1997年4月、バンドのボーカルToshiは退出して、バンドはやむを得なく解散した。一年後の1998年、ギター手Hideが意外に死んでしまった。一番輝いている時で、みんなは離れて散てしまった。これ以上の色々なわけで、X-Japanは真似できないレジェンドみたいなバンドになった。私が選んだこの「Forever love」という曲は華やかで悲しい雰囲気で、X-Japanの少ない鎮魂曲みたいな歌である。この曲はギター手Hideの葬式で演奏したこともある。

 最後、中島みゆきは20世紀「宝物の歌姫」と呼ばれるアーティストである。彼女はオリコンにおいて、4つの年代に渡ってシングルチャート1位を獲得した唯一のアーティストであり、他のアーティストへ作詞、作曲を手かけた作品もたくさんある。1975年にデビューしてから今まで、70曲以上の歌は中国大陸、台湾、香港などの華人歌手にカバーされた。漢語だけではなく、広東語、台湾語のカバー曲もたくさんある。私は選んだ歌は『愛される花 愛されぬ花』という曲なのである。この曲は実際、悲しいラブソングではなくて、詩の趣に富む曲である。この曲は多くの人に知らせるカバーもある。それは中国歌手劉若英の『原来你也在这里』。

 これから、歌詞の部分を選んで研究する。

1 尾崎豊の『I LOVE YOU』の部分

 「二人はまるで捨てて猫みたい

 この部屋は落葉に埋もれた空き箱みたい

 だからおまえは小猫の様な泣き声で。」

 この歌詞の中で、二人は捨てられ猫にたとえて、部屋は落ち葉にうもれた空き箱にたとえて、女の人の泣き声は小猫にたとえる。悲しい雰囲気を描いで、二人愛情の花火が消えた前苦しい状態が表した。

 及び:

 「きしむベッドの上で 優しさを持ちより

 きつく躰 抱きしめあえば

 それからまた二人は目を閉じるよ 

 悲しい歌に爱がしらけてしまわぬ様に

 I love you 若すぎる二人の愛には触れられぬ秘密がある 

 I love you 今の暮しの中では辿り着けない”」

 二人の稚い愛の中には触られない秘密があるが、現実の中には届けないである。お互いに抱きしめてしかないで、悲しいラブソングの中に、愛を消えていないように我慢している。この曲は直接に自分の主観的な気持ちを表して、聞く人に同情と絶望感を感じられる。

2 X-Japanの『Forever love』の部分

 「もう一人であるけない、時代の風が強すぎで

 Ah 傷つくことなんて、慣れたはずだけど今は

 Ah このまま抱きしめて、濡れたままの心を

 変わり続けるこの時代に、変われない愛があるなら

 Will you hold my heart、涙受け止めて、もう壊れそうな All my heart

 Forever Love Forever Dream

 溢れる想いだけが、激しく切なく時間を埋め尽くす

 Oh! Tell Me Why All I See Is Blue in My Heart

 Will You Stay with Me、風が過ぎ去るまで,もう谁よりもそばに

 Forever Love Forever Dream

 このままそばにいて、夜明けに震える、心を抱きしめて

 これ以上步けない

 Oh tell me why. Oh tell me true、教えて生きる意味を

 溢れる泪の中,辉く季节が永远に、变わるまで」

 この曲の歌詞の中から、筆者は絶望と弱さを感じる。孤独な一人はもうあるけないで、時代の風が強すぎるからである。思い出が浮かんで、時間を埋め尽くした。私を救える人は「あなた」だけである。この曲は愛情だけではなく、友情や家族、あるいは心からの信仰も描いて伝える。深い絶望の中から、少し希望を探する。この曲は川端康成の「伊豆の踊り子」のような、彼の他の作品と違って、悲しさの中でも暖かい感じと希望がある。人に力を与えますので、「もののあわれ」意識の一面を表した。

3 中島みゆきの『愛される花 愛されぬ花』の部分

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