『門』から見る夏目漱石の結婚観

 2022-01-19 11:01

目  次

一 はじめに 1

二 先行研究 2

三 『門』と夏目漱石の結婚観 3

四 その結婚観の形成要因と意義 8

五 おわりに 11

致 谢 14

『門』から見る夏目漱石の結婚観

庄丽娜  20141322008

要旨:夏目漱石は日本近代における代表的な文学家であり、日本の文学史に高い地位がある。日本の「国民大作家」と呼ばれている。小説『門』は、彼の文学生涯で、初めて夫婦の愛と家庭生活をテーマにした作品である。恋を求めるために、当時の社会倫理に違反したと思われた夫婦の日常生活を語った。『三四郎』、『それから』と共に、夏目漱石前期の「恋の三部作」と呼ばれている。本稿では、作品への分析を通して、その中心的な思想を読み解く。主にその中に現れた夏目漱石の結婚観について、深く研究してみた。その近代性の結婚観と夏目漱石の人生経歴に関わり、当時では大きな影響と社会的意味を持っている。

キーワード:夏目漱石;『門』;双重の基調;近代性;結婚観

一 はじめに

夏目漱石は明治時代の文学家である。明治時代は、日本の転換時期であり、文学者の内心的な苦しみと精神的な孤独を表す作品が多く出ていた。『門』という小説もその中のひとつである。それは夏目漱石文学生涯における初めて夫婦の愛と家庭生活に関する作品である。この小説から、夏目漱石の作品は社会への思考から個人の思想と心理への分析に変わった。小説は、恋を求めるために、当時の社会倫理に違反したと思われた宗助と御米夫婦の日常生活を語った。彼らの婚姻は、しっかりした感情の基礎がある。しかし、宗助が友達の安井の婚約者だった御米と恋に落ちてしまったということは、当時の社会法則上では安井に対して「罪」があると思われた。この小説は当時の社会に残された封建的で伝統的な結婚観を批判し、恋愛や婚姻の問題に直面する若者を導く役割を果たした。夏目漱石の近代的な結婚観もそこに具体的に表れた。

本稿では、『門』という夏目漱石の作品への分析を通して、その中心的な思想を読み解くことで、主にその中に現れた夏目漱石の結婚観について論じていこうと考える。

二 先行研究

『門』についての研究は、日本においても、中国においても、『吾輩は猫である』と『こころ』と比べて、数が少なかった。

日本で『門』についての研究は、『門』が発表されてすぐからある。『門』に関する研究は1960年代まで、「二重の小説構造」が持つことが主要な論点であり、1970年代以降、小説の方法、表現手法の問題に関心が移行している。1代表的な研究は、江藤淳の論文『『門』―罪からの遁走』、越智治雄の論文『門』、玉井敬之の論文『漱石と「家」』などである。 江藤淳は『『門』――罪からの遁走』で、『門』は「理想主義的な夫婦愛」を描いた小説であると述べた。越智治雄はその論文では、「宗助の日常的時間が過去に背負っているのは罪を犯した日常的な時間」で、小説の『門』は「二重の小説構造が意味をもつ」と指摘していた。玉井敬之は漱石の創作生涯で代表的な小説を 「家制度」から読み直して、漱石の作品が「自ら旧い『家』と決別して、旧い「家」を捨てる人々の物語であったということもできる」と論じた。

一方、中国での『門』に関する研究は、近年だんだんと増加してくる。たとえば、李加貝は『夏目漱石『門』与魯迅『傷逝』中的近代性』という論文で、『門』が旧い婚姻形態と別れ、幸せな恋愛を追求する男女を描くことであると指摘し、封建文化が人間を傷つけ、暗黒な社会が人間を圧迫するということが示唆されたと論じた。張楽涵はその論文『巴金与夏目漱石小説中婚恋観比較研究』の中で、夏目漱石の結婚観は「自己本位」の表れだと述べた。

 本稿では、宗助夫婦の婚姻関係とその中の「愛と罪」を切り口にし、その中に現れた夏目漱石の結婚観について検討することにする。

三 『門』と夏目漱石の結婚観

1.『門』における愛と罪

『門』では、男主人公の宗助はかつて東京の金持ちの家に生まれ、賢く、友たちも多く、明るい将来があると見なされていた。京都で大学に通う時、当時友達安井の恋人の御米と知り合いになり、その後恋に落ちてしまった。当時の社会において、それは社会倫理に違反し、許されないことである。そのため、宗助と御米は社会より見捨てられた状態で、宗助の家族も彼を排除し、学校も彼を受け入れなかった。更に、社会に入っても、よい仕事を見つけず、職場で仲間はずれされていた。でも、二人はお互いに思いあっているため、周りから反対されたにもかかわらず、東京近くの麓にあるボロボロのハウスに引っ越しし、外との交流はほぼ絶っていた。決して良いとは言えない生活であるが、二人の仲は非常によかった。6年間に喧嘩もなく、幸せに生活してきた。しかしながら、唯一残念に思っているのは子供がないことであった。御米は三回も妊娠したが、いろいろな原因で子供を失った。宗助と御米はこれを社会の倫理に違反した天罰だと思っていた。小説の終わりにも、夏目漱石より、彼らは子供ができているかどうかについてを語らなかった。宗助夫婦の生活は愛と罪が入り混じると言える。この「愛と罪」から夏目漱石の結婚観も体現された。

2.夫婦間の「愛」と夏目漱石の結婚観

『門』という小説に宗助夫婦の間の愛と幸せを描く場面が多くある。その部分から見ると夏目漱石は宗助夫婦に対して祝福の感情があることが分かる。彼は、このような本当の愛情を基礎にする婚姻を支持し、心の底からこのような愛情が美しいと考えていると言える。

2.1愛情を基礎にする婚姻

『門』という小説は始めの第一章の中、宗助夫婦の静かな生活の場面を描いた。日差しのよい秋の日に、宗助は廊下にいって、ゆったりと日向ぼっこをしている。妻の御米は家の中に、針仕事に励んでいる。六日間の苦労から解放された宗助は、その瞬間にはのんびりであるという場面である。

宗助と御米は一緒になった後、六年間に夫婦は各地に引越し、固定的な居場所はない。後で、ようやく東京で仕事を見つけ、町から離れた麓にある小さな家を借りて暮らすようになった。貧しい職員生活をしていたが、二人はお互いに頼る生活に対して、「ちっとも飽きと不満足はない」2。結婚後の生活は、しょうもなく単一の日常となるが、暖かい日常でもある。夫婦仲も円満で、結婚してもう6年も経ったが、宗助はずっと御米を「愛すべき細君」3と見て、御米もずっと宗助を「善良な夫」」4と見てきた。世の中に認めてもらえなくても、宗助夫婦もそれを気にせず、やはり一緒にささやかな家庭生活を営んでいる。そして、平凡な日常の中で、確かに一部の幸せを手に入れた。彼らにとって、愛があれば、婚姻そのものは有意義である。これらの内容は宗助夫婦の自由恋愛が夏目自身にも認められたとの表れだと言ってもよかろう。

2.2「一夫一婦制」を支持する結婚観

明治時代では、一人の男は何人の妻を持つことは普通なことである。しかし、宗助と御米はずっとお互いに頼りあって、6年間、二人はずっと子供が出来なかったが、宗助も変わりがなくて、ずっと御米を守っていた。妾を置くことなどまったく考えていないということである。

御米は宗助と一緒になると、自然に家庭主婦となり、就職もしていない。彼らは、家庭規模には「一夫一婦制」で、お互いに対して忠誠心を保ち、尊敬し合い、愛し合っている。毎日夫婦間の幸せと宗助の忠誠心からみると、夏目漱石が「一夫一婦制」を支持することがわかる。

2.3子供のことを重視する結婚観

 子供のことについて、宗助夫婦は結婚後6年間、前後三回も妊娠した。毎回妊娠したとわかると、すごく興奮となり、何か良くないことを避けるように、平日も気をつけている。それでも、不運が重なって結局自分の子供を持つことができなかった。宗助夫婦は、それに対して苦みと絶望を感じている。大家さんの可愛い子供たちを見て、すごく羨ましく感じている。小説では子供が持てない宗助と御米夫婦の悲しみには紙幅を多く費やされた。その細部から宗助夫婦は子供のことを重視することがわかった。

 以上のことをまとめると、宗助夫婦の婚姻には、感情がしっかりしており、家庭分担のほうは「男が外、女が内」という形である。家庭規模には、「一夫一婦制」で、自分の子供を持ちたいという願望が強い。宗助夫婦の生活に対する描写に表れた夏目漱石の結婚観は、近代的な特質を備えていると言える。

3.夫婦間の「罪」と夏目漱石の結婚観

宗助夫婦の生活に愛があるが、平和的な生活の中に、全体的な基調はまだ暗い。だるまの風船、大家さん坂井家族の賑やかな雰囲気が御米を傷つけ、子供を失う苦痛を思わせた。宗助の弟小六の学費問題やその父の遺産が横領された事件も、安井を裏切った罰として彼らから受け止められていた。安井と会うことも、とても緊張である。この全ての原因は、当時宗助と御米が恋になる「不倫の罪」のためである。

御米が婚約者の安井と別れた理由は宗助にあったため、明治時代の法律と倫理の観念によれば、宗助と御米の関係は「姦通罪」5である。そのため、社会法則の前で、二人は完全に孤立無援の状態である。最後、反抗できない弱者の地位に落ちている。『門』の中にも書かれているように「二人は両親を見捨て、旧故を見放した。漠然と言うと、社会を丸捨てた。言い方を変えれば、二人は親旧故と社会に捨てられたのだ。」6

3.1婚姻における経済的条件の必要性

前に言った通り、宗助は彼が勉強していた学校から退学させられた。彼は元々京都の大学の学生で、成績も優秀であった。しかし、御米と恋愛した後、やむをえず学校を中退した。彼の人生もそれから書き換えられた。卒業証書がないので、社会的な競争で利点を失い、収入も少なくなった。数年間、極貧な生活を送ってきて、経済状況も非常に悪い。その後、偶然と前の友達に助けてもらって、やっと東京に戻ってきた。東京に戻ってから、山の崖の下で小さな家を借りた。その部屋の日差しが悪いから、毎日暗い。雨が降ると雨漏りする可能性もある。「ここに住むと、我々は世間より一世紀後れている」7と宗助も嘆いたことがある。宗助夫婦にとって、社会はあくまでも日常生活の必需品を提供する場所に過ぎない。宗助も社交が嫌いになる。社会のたくさんの煩い事を避けると同時に、また様々な社会的経験を習得する機会を失った。

 以上から、宗助夫婦は一緒にいると、婚姻生活は経済的問題で不順調な時がある。一部の原因は、宗助の仕事の不順調で、給料で家庭と弟の小六の学費を支えることが難しい。宗助と御米も確かに金の問題で苦しみをかんじた。このように、夏目漱石は、婚姻には物質的な基礎が必要であり、社会の環境に制限されることもあるという認識があることが分かる。宗助と御米は最初に恋に落ちた時、相手は魅力的だと思い、物質的な基礎はそんなに大事なものではない。しかし結婚後、愛情は生活の全てではなくなった。経済的な不安を持っていると、家庭生活には影響が出ることが避けられない。

剩余内容已隐藏,请支付后下载全文,论文总字数:10643字

您需要先支付 80元 才能查看全部内容!立即支付

该课题毕业论文、开题报告、外文翻译、程序设计、图纸设计等资料可联系客服协助查找;