村上春樹訳作における帰化と異化の運用——『グレート#12539;ギャツビー』を中心に

 2022-01-19 11:01

目         次

一 はじめに 1

二 翻訳中の帰化と異化 2

三 村上春樹訳中の帰化と異化 4

四 村上春樹の翻訳風格の成因 8

五 終わりに 12

六 致谢 15

村上春樹訳作における帰化と異化の運用

――『グレート・ギャツビー』を中心に

金杨梦琪 20131322027

要旨:翻訳の歴史で、いろいろな翻訳理論がある。本稿は、ローレンス・ヴェヌティの理論や村上春樹の翻訳風格について考察を行い、ローレンス・ヴェヌティ理論が村上春樹の翻訳作品中の異化と帰化の活用表現を探求して、村上春樹の翻訳風格を分析するつもりである。ローレンス・ヴェヌティ理論は1925年提出したから、さまざまな議論を起こした。異化や帰化どちらがよいかとか、異化や帰化はどのよいに使うがよいかとかという問題を提出した。だから、本稿は異化と帰化の概念や区別を並べて、『グレート・ギャツビー』中の異化と帰化表現を分析した。異化や帰化の運用と翻訳者の翻訳風格の関係を探して、村上春樹さんの翻訳風格を分析した。その上、本稿を通じて、原文作者や訳者の翻訳風格が異化と帰化理論の具体的な運用に対しての影響を明確にすることを目的として論じていくことにしよう。

キーワード:異化;帰化;翻訳の風格;村上春樹;『グレート・ギャツビー』

一 はじめに

日本語科の大学生として、自分は翻訳に興味があるから、たまたま『グレート・ギャツビー』に興味が生まれる。資料を調べたあとで、実はこの本は村上春樹の大好きな本だと分かった。それに村上春樹も自らこの本を翻訳したことがある。この本はどういう作品で、村上春樹までこの本を夢中になったか、私はずっと迷っている。それから翻訳者としての村上春樹の一面を見つけた。

現在、文学翻訳に対しては、いくつかの問題で世界翻訳者がずっと食い違っている。たとえば、直訳や意訳、翻訳三原則、語の翻訳の使うことと翻訳の帰化や異化など。ここで検討の問題は、近年ホットスポットになた翻訳の帰化と異化問題である。この問題に対して、国内外で研究が少しある。たとえば、国内で彭燦の『跨文化翻中的异化与帰化』、この文章は全体異文化の翻訳ただひとつの点から帰化と異化の翻訳方法を見て、具体的な翻訳者に実行していない。それに翻訳方法は人によって違いがあるから、一概に論じることではないである。もう一方で、日本評論界は村上春樹が翻訳者としての翻訳観念に関心を持っているだけである。たとえば井上健の『作家=翻訳家村上春樹の出発--1979-1982 (特集 村上春樹のアメリカ)』、この文章は翻訳者として村上春樹の翻訳観念や実践を詳しく分析したが、小論で提出する帰化と異化問題が全然かかわらないから、補充するゆとりがある。

村上春樹と帰化や異化問題が関係ないそうである、でも、村上春樹の翻訳作品の言語特点からみれば、いかなる翻訳者にも異文化作品を帰化するか、あるいは異化するかという問題を直面しなければならない、これは明らかにわかることである。これも自分として研究したい主題である。近年は、翻訳者としての村上春樹に分析する研究が多く見ていないから、私の研究はやって差し支えない。

本文は五つ章節に分けて論じる。はじめは帰化と異化の基本的な内容を紹介するが、そして英語原文や村上春樹の日本語翻訳作品から帰化と異化の例を探して、『グレート・ギャツビー』中で村上春樹の翻訳風格をまとめる。あとで先人のまとめた結論を調べて、自分の結論と比べる。最後は『グレート・ギャツビー』中で帰化と異化方法の独特性を探して分析してまとめるつもりである。

二 翻訳中の帰化と異化

1帰化と異化の提出

帰化と異化が1995年アメリカの有名な翻訳者ローレンス・ヴェヌティに『訳者の身隠し』で第一回提出された。1

彼が提出した帰化は目標語あるいは訳文の読者を落ち着く先にして、原文を現地化して、目標語の読者の慣れた表現方法を採用して原文を伝うことである。訳者が本国の作者ように原文を述べて、原文の作者と読者の直接的な対話を本国の言葉らしい言葉に変えて目的語の読者に近づかなければならない、それは帰化の要求である。

帰化は読者を手伝って原文の内容を通じる長所があるだけでなく、訳文の可読性や鑑賞性を増やすこともできる。それで訳者が原文の内容を本国の言葉で十分に表わすことは大切なことである。

異化では「訳者はできるだけ作者を邪魔なくて、読者を作者に詰め寄せる」ことである。つまり、訳者は目的語を落ち着く先にして、外来文化の言葉特徴を迎合したり、外語の表現方式を吸収したり、作者に詰め寄せて作者の使う原語を採用して原文を伝わなければならない。だから、民族文化の差異を考慮するうえで、外来民族の特徴を保存したり、言葉風格を現れたり、原文の距離がある美しさや異国の情調を読者に提供することが異化の長所である。

2 帰化、異化と直訳、意訳の区別

翻訳の歴史からみれば、帰化と異化が直訳や意訳の延伸にしてが、その二つの概念を同一視してはならない。直訳や意訳の中心問題にはどのように言葉だけのレベルで形式や意味を処理すればいいかという問題である。そして帰化と異化では言葉の局限性を超えて、翻訳の限界を文化や美学などの領域へ広がる。

ローレンス・ヴェヌティの理論どおりで、帰化は「原作者を訳文の文化に持ち込む」ことである。そして異化では「外語の言葉や文化差異を受け入れて、読者を外国の情景に持ち込む」ことである。このように見れば、直訳や意訳は言葉だけのレベルに局限する価値配向である。帰化と異化では文化の言語環境に立つ価値配向である。だからその二つの概念の差異が明らかに分かる。2

3 異文化翻訳中の帰化と異化の簡単な表現

帰化と異化が言葉習慣や文化に関わっているから、異文化翻訳中で典型的な表現が必ずある。以下は例を一つ挙げる。

たとえば英語の「every dog has his day」。

帰化は「すべての人は会心の日がある」。中国語では「凡人皆有得意日」である。

異化では「すべての犬は自分に属する日がある」。中国語で「每只狗都有属于它自己的日子」である。

この例から見れば、帰化が原文を中国語の慣用の表現方式で表現した、それに原文を中国語のことわざに帰納された。だから、読者に受け入れやすくなって、美感も訴える。異化が直訳にちょっと似ているが、言葉文化から見れば、帰化の表現と対比になって、原文の言葉特点を保存するために、読者に文化距離感を与える。

三 村上春樹訳作における帰化と異化

1 村上春樹の『グレート・ギャツビー』における帰化と異化表現

スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は村上春樹の一番好きな本である。村上春樹は六十歳になる時その本を訳すことにした、でも、我慢できない村上春樹は予想より短い時間をかかって翻訳本を完成した。翻訳本への前書きによると、彼はできるだけ情熱を持って親しい翻訳者として、文字集合をひとつひとつ日本語ではっきり表わした。日本語に訳したが、訳者の真意かどうか、原文の微妙なところへ様々なダメージをもたらした。これから村上春樹はどのように帰化と異化でその問題を解決することを探究し始める。

1.1帰化表現:

原文:The abnormal mind is quick to detect and attach itself to this quality when it appears in a normal person, and so it came about that in college I was unjustly accused of being a politician, because I was privy to the secret griefd of wild, unknown men.

訳文:このような資質があたりまえの人間に見受けられると、あたりまえとは言いがたい魂の持ち主はすかさず嗅ぎつけて近寄ってくるのである。

   そんなこんなで大学時代には食えないやつだといういわれるのない非難を浴びることになった。

上の段落は原文ではひとつ完全な段落であるが、村上春樹の訳本中では二つの段落になって、日本語特有な言語節奏になれることができる。ここではっきり見える因果関係になって、主人公はそういう品質があるので、人たちに非難をされる。そういう表現方式は日本語の辻褄にあって原文より日本語読者に受けられるから、妥当なとこるになった。そういう帰化方法を使う段落の変化は訳文にはありふれることである。

原文:All my aunts and uncles talked it over as if they were choosing a prep school for me, and finally said, ‘Why-ye-es,’with very grave, hesitant faces.

訳文:叔母たちや叔父たちが集まり、どこの進学校に子供を進学させようかといった感じで頭を寄せ合って協議し、最後におそろしくかしこまった渋い顔つきで「好きにすればよろしかろう」という結論に達した。

原文中にひとつ疑問詞を使って、あとで賛成を表わす。でも、その疑問詞は日本語で適当な語彙を見つけにくい。村上春樹の訳本中では「好きにすればよろしかろう」という言葉を使って、前置きと一緒に見れば、原文中の親戚の疑問があるんでも賛成せざるを得ない気が十分に表れる。この訳文は簡潔で、訳文の表現方式に合うというよりも、村上春樹個人の表現方式に合うことである。

原文:The practical thing was to find rooms in the city, but it’s was a warm season…

訳文:便利性を考えれば、市中に部屋を見つけるに越したことはなかった。

原文からみれば、作者は現実の宿泊問題を解決したいことを表わすつもりである。原文で主人公は最後田舎に一つ家屋を見つけたが、訳文でははっきりした前置きをした。訳文は市内で家屋を見つけると最高だが、いろいろな原因でその望みをかなわない。そういう前置きをした表現方式は原文より充実だけでなく、内在な因果関係もあるので、これも接続関係を重んじる日本語の一つ表現である。

原文: ‘Now, don’t think my opinion on these matters is final,’…

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