中国人学習者の日本語心身擬態語の漢訳―『伊豆の踊り子』に基づいて

 2022-01-19 11:01

目        次

一 はじめに1

二 オノマトペの定義と特徴2

三 「伊豆の踊り子」における心身擬態語の使用とその翻訳 4

四 中国日本語学習者における擬態語の翻訳調査 11

五 終わりに 25

致 谢29

中国人学習者の日本語心身擬態語の漢訳

━━━━『伊豆の踊り子』に基づいて

温婷茹 20131322039

要旨:日本語において、擬声語と擬態語は重要な位置を占めている。中国語には、それらの語彙の使用は日本語ほど多くないので、中国人学習者にとって、一つの難点である。『伊豆の踊り子』という文学作品に基づき、心身擬態語の誤訳と漢訳について研究しておきたい。三冊の訳本を比べ、例文を挙げて分析した。また、の日本語学習者を対象にして実際の翻訳調査をしたところ、誤訳現象と翻訳状況が分かった。

キーワード:心身擬態語;漢訳;翻訳調査;誤訳分析;翻訳方法

一 はじめに

日本語において、形容詞の数は中国語より少ないにも関わらず、物の状態、感覚、味などを具体的に表す表現として多量の擬声語と擬態語が存在する。このような言葉は日本語で重要な位置を占めている。それは最も生き生きとした語句と認められている。オノマトペ1は中国語で使われている頻度は日本語ほど高くないので、中国人の日本語学習者にとって、それを覚えて理解するのは一つの難点になっている。擬声語と擬態語は、ある程度で学習者の言語レベルも決めている。それを身に付ければ、更に生っ粋な日本語が話せるようになると思われる。

近年、多くの学者はオノマトペの形態意味などを基づき、様々な研究を行っていた。そして、それに関する辞書も出版されている。擬声語と擬態語の語彙、文法に対し、研究した金田一春彦2先生をおいて、この種の語句の翻訳方法に目を向ける学者もいる。翻訳方法の点から見ると、日本語オノマトペの特徴を比べることもあれば、日本語オノマトペの漢訳もある。ところが、中国人学習者の誤訳と漢訳についての研究はまだ少ないのである。この現象が少しでもわかるようになれば、日本語学習者にとって多少役に立つだろうかと思われる。

そのため、今回ここで、中国人学習者の日本語心身擬態語の漢訳を考察してみたい。主に『伊豆の踊り子』に基づき、心身擬態語をめぐって、学習者の覚える程度と誤訳を考えておきたい。

使用された資料は2003年に新潮文庫に出版された『伊豆の踊り子』とその三冊の中国語訳本それに、日本語擬声語と擬態語の代表としての金田一春彦・浅野鶴子に書かれた角川書店に出版された『擬声語・擬態語辞典』である。訳本での翻訳方法を挙げながら、典型的な例文を説明して、学習しておきたい。『伊豆の踊子』の中で現れた代表的な擬態語を素材として、対象は本校の日本語学習者とし、それぞれの結果の異なる箇所も指摘する。最後、調査結果により、中国学習者の誤訳現象と翻訳状況を分析する。その結果が日本語教授に引き込まれば、少しでも役に立つだろうと思う。オノマトペを更に正確に翻訳するようになることを目的とする。

二 オノマトペの定義と特徴

2.1擬声語と擬態語の定義

擬声語と擬態語の総称は象徴語、或いはオノマトペということである。「擬声語とは、物の音や声などを表すことばで、片かなで書くことが多い。」「3擬態語とは、物事の状態を描写する語。擬声語が自然の音声を言語音で直接的に模倣するのに対し、これは間接的に模倣し象徴的に言語音に写したもの。」4金田一春彦は擬音語と擬態語の意味から細かく五つに分類して、以下のような名前を付けた。擬声語、擬音語、擬態語、擬容語、擬情語ということである。人間や動物の声を表す語は「擬声語」と呼び、自然界の音や物音を表すのは「擬音語」と呼ぶ。一般的に言われた擬態語とは三つの種類に分けている。「音ではなく何かの動きや様子を表すもののうち、無生物の状態を表す物を「擬態語」とし、生物の状態を表すものを「擬容語」とし、最後に人の心理状態や痛みなどの感覚を表すものを「擬情語」とした。」5それぞれの語例を挙げてみる。

擬声語:カーカー、ピョピョ、クンクン、ケラケラ、カラカラ等。

擬音語:ぽたぽた、ポロポロ、ザラザラ、カサカサ、バタバタ等。

擬態語:つるつる、するする、きらきら、さえざえ、ざらっと等。

擬容語:よろよろ、じっと、ぼんやり、むっつり、ぐったり等。

擬情語:わくわく、そわそわ、うっとり、いらいら、どぎどぎ等。

 ここで、一つの語に対して、そのいくつかの分類のうちで二つ以上の分類に当てはまる場合がある。このような場合は擬声語と擬態語の特徴と言える。

2.2擬声語と擬態語の特徴

 擬声語と擬態語の特徴は何のか。それに、今日の日本語にはどれぐらいのオノマトペがあるのか。『擬音語・擬態語辞典』を調べてみると、それぞれは1647語と1562語となっている。まず、第一の特徴はその語形そのものである。大概に六つの分類に分けている。

  1. 繰り返す型。「うろうろ」、「ゲラゲラ」のように同じ音が繰り返される型である。または、「ABAB」型と呼ばれている。この型の数は、全体の三分の一も占めている。
  2. 促音「っ」を含める型。「ぴたっ」、「きらっ」のような「ABっ」型というふうに表される。約200以上の語がある。
  3. 撥音「ん」を含める型。例えば、「ぽかん」、「かちゃん」などの「ABん」型なのである。
  4. 「り」を含める型。「むっつり」、「ぐったり」などのような「AっBり」型である。
  5. 母音の長音化。「ビービー」、「ぴーっぴー」などがある。

以上の五つの分類において、六番目の型は「混合型」と呼ばれている。この五つの特徴的な語形により、オノマトペと他の語句を形で区別することができる。

 二番目は前のように述べており、ある一つの語が、定義の五つの類のうちに、二つ以上の分類に当てはまる場合があるということである。例えば、「ざらざら」というオノマトペは、「机の上がざらざらだ」という文では、机という物の様子を表す「擬態語」だが、「豆をザラザラとお碗に入れる」という文では、数多くの派生形を作れるのは三番目の特徴だと認められている。例えば、「がた」という語基から、「がたん」、「がたがた」、「がたーん」、「がった」のように意味の似た語が次々と出てくる。このことも擬声語と擬態語の一つ大きな特徴である。

三 「伊豆の踊り子」における心身擬態語の使用とその翻訳

『伊豆の踊り子』という小説は、全文の字数が二万字にたりなく、数多くの擬声語と擬態語が現れている。筆者の統計によると、小説で現れる擬声語と擬態語は全部53個がある。中では擬声語が16個、擬態語が34個に占めている。本稿は主に心身擬態語に関することを研究しており、物事を表す四つの擬態語をここで重点としないのである。また、他の三つの擬態語は辞書で調べ出されないので、ここで討論を行わないのである。それらは、「ほうと」、「ほうっと」、「ぴたと」の三つである。

 本稿で参考として選ばれた『伊豆の踊り子』は、2003年に新潮文庫に出版されたのである。選ばれた辞典は尚学図書により、1981に小学館に出版された『国語大辞典』である。それに『伊豆的歌女』6、『伊豆舞女』7と『伊豆的舞女』8との三冊の中国語訳本である。人の心理と身振りのような分類により、擬態語の翻訳を分析しておきたい。その中から代表的なのを引き出し、本校の日本語学習者を対象として翻訳調査を行う。文章の中で、人の心理活動を描く擬態語が四つがあり、具体的の動作を描くのは30個もある。この点から見れば、川端康成は人物イメージの描きに目することが分かっている。擬声語と擬態語があるこそ、人の動作から表情に至るまで生き生きと描き出されている。

3.1人の心理について

 これから、『伊豆の踊り子』の中の代表的な擬態語と中国語訳本の例を挙げてみる。それぞれの解釈は1981に小学館に出版された『国語大辞典』から取り出されている。

例1

(1)「夏でしょう」と、私が振り向くと、踊子はどぎまぎして、「冬でも」と、小声で答えたように思われた。(P14)

侍訳:“是在夏天吧,”我说着转过身来。歌女慌了神,象是在小声回答:“冬天也……”(P122)

林訳:“是夏天吧?”我回头问。小舞女慌张起来,仿佛回答我似的小声说,“冬天也……”(P7)

叶訳:“是在夏天吧?”我回头问了一句。舞女有点慌张地小声回答说:“冬天也……”(P84)

(2)そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。(P9)

侍訳:我这么空想着匆忙赶来,恰好在避雨的茶馆里碰上了,我心里扑通扑通地跳。(P118)

林訳:我这么猜想着急急赶路,却在避雨的茶馆里不期而遇,这让我一下子不知所措。(P4)

叶訳:我就是这样浮想联翩,急匆匆地赶来的。赶上避雨,我们在茶馆里相遇了。我心里七上八下。(P80)

解釈:不意をつかれたり、圧倒されたりして、うろたえあわてるさまを表す語。(P1771)

分析:先生は擬態語を中国語の擬音語に転じて、「どぎまぎ」を「扑通扑通」に訳した。文章が生き生きと描き出されている。他の二種の翻訳例文で中国の熟語を使われ、主人公の緊張感と惑わす様子とも表せている。その二種の方法は異なる部分を強調している。侍先生の訳本を読んでいる時、あたかもその場合に臨んでいるような感じをする。それは中国語と日本語の魅力かもしれないと思う。

例2旅馴れったと言っても女の足だから、十町や二十町後れたって一走りに追いつけると思いながら、炉の傍でいらいらしていた。(P11)

侍訳:我想,尽管她们已经走惯了路,二毕竟是女人的脚步,即使走出了一两公里之后,我跑一段路也追得上她们,可是坐在火炉旁仍然不安神。(P119)

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