『古事記』にみる古代日本の政治観

 2022-01-19 11:01

 目      次

一 はじめに 2

二 「三貴神」 3

三 天孫降臨 4

三 神武東征 6

四 終わりに 8

致谢.....................................................12

『古事記』に見る古代日本の政治観

陈涵清 20131322017

要旨:『古事記』は日本最古の歴史書であり、神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事(神話や伝説などを含む)が紀伝体で記載され『古事記』には古代日本人の政治観がよく現れている。例えば、三貴神、天孫降臨、及び神武東征などの物語は、実は古代日本人の尊卑や法律などの政治意識を映している。

キーワード:古事記 政治観 イザナギ 天照大御神 宣託

一 はじめに

『古事記』は日本の最古の歴史書である。本書は天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』と『先代旧辞』を太安万侶が書き記し、編纂したものである。『旧辞』は、宮廷内の物語、皇室や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。旧辞の内容の一部は創世神話についての物語である。帝紀とは、歴代の天皇あるいは皇室の系譜類、あるいはそれらをまとめた分野のことである。『古事記』は世間の人に日本の皇室や国家の起源と発展についてのことを明らかに示している。皇室や国家の起源を利用し、天皇の神格性を広く宣伝する。さらに、歴代の天皇の物語を通じ、天皇の権威を犯してはならないことを庶民に教える。この意味でいえば、『古事記』は政治の書でもあり、天皇による制度秩序の正当性を強調することで成立したと言えよう。

神野志隆光は『古事記とはなにか 天皇の世界の物語』の中で『古事記』は天皇の世界たる「天下」を語る物語だと指摘している。「あくまでもアマテラスからの一統によって統治の正当性を主張しようとする古事記の意図は最後まで徹底しています」[1]といったように、『古事記』の目的は天皇制度の正統性を認証することであるという。

『古事記』の研究は、近世後期に入って、本居宣長によって従来の『日本書紀』を中心とした研究を変え、次第に研究されるようになった。日本ではまず最初に神野志隆光の研究が挙げられる。神野志は『古事記の政治観』(吉川弘文館)の中で、「『古事記』をひとつの完結した作品として把握しなければならない。「高天原」、「葦原中国」、「黄泉国」と「根之堅州国」の位置付けに新たな見解を示し、『古事記』が上中下巻を通して構築する独自の世界観・主張を解明」[2]した。一方、中国においても多くの研究成果があげられた。例えば、陳秀武の『記紀神話における日本政治意識初論』がある。陳は『古事記』と『日本書紀』を、成立から天神勅命の政治効力と神武天皇の建国精神まで、比較しながら、記紀神話は激しい時代使命と政治思想を表現したと指摘した。

本論文では、主に「三貴神」、「天孫降臨」及び「神武東征」の物語を取り上げ、物語に現れた古代日本人の政治観を考察してみたい。

二 「三貴神」

1 「三貴神」と尊卑意識

イザナギが目と鼻を洗う時に生まれた三つの神は尊敬されて「三貴神」と呼ばれていたが、やがて、彼らは高天原、夜の国、海原を治めるように命じられた。三貴神はそれぞれアマテラス、ツクヨミ、スサノオのことである。そのうちアナテラスは三貴神の首領となった。

イザナギとイザナミは天神の命令に従い、天神の賜った武器天沼矛を利用して一緒に国土を創造した。しかし、イザナミは火の神を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せ、亡なった。それでイザナギがこの国土において唯一の主宰者になった。その後、この国は三等分に分けられた。

イザナギは国土を平等に三貴神に分配したことで、一見三貴神に対して同じ態度をとっているようにに見えるが、実は三貴神が差別待遇を受けていた。この分配はアマテラスの支配的な地位を確立した。

イザナギが「三貴神」にそれぞれ高天原、夜の国、海原を治めるように命じた時には、すでに上下尊卑の政治意識が現れた。イザナギは一見「三貴神」に対して一視同仁主義をとり、世界を三等分に分け、それぞれ「三貴神」に渡して治めさせたようだが、実は「三貴神」に対して大切に思う程度が違っていることがよく見られる。

まず、地域の政治地位が違うという点である。高天原は神国であり、諸神がこの高天原で誕生する。高天原は神の住まう場所である。しかし、ツクヨミの夜の国とスサノオの海原は何でもない。それで、比較してみると、高天原の地位は他の二つの地域に比べて高いだと考えられる。高天原は国の中心地だと思われていた。ところが天照大御神(即ちアマテラス、以下同じ)はイザナギの命令に従い、高天原を治めることになった。この点からすると、アマテラスの地位は他の二人より高い。

次に、イザナギは天照大御神に高天原を治めるように命令した時に、首にかけていた首飾りを天照大御神に授けた。それは天照大御神特有の誉れである。このことから見ると、イザナギが最も大切に思う人は天照大御神だということがわかる。そして、三貴神の中ではアマテラスが最年長である。イザナギは三貴神の一番の年長者を選んで高天原を治めさせた。

『古事記』の帝紀の部分には多分天皇はお気に入りの息子を選んで国を治めさせたことがある。例えば、懿徳天皇や孝昭天皇や孝安天皇などの天皇は長子を選んで国を治めさせる。長子相続制はそのとき既に最初の形態が生じた。長子の権威は生まれつきである。

これらの行為からみると、アマテラスはイザナギの最もお気に入りの息子である。三貴神の地位の違いが隠れ見える。尊卑意識がだんだん生み出された。古代日本人は初めて尊卑貴賤を分かるようになった。

2 スサナオノミコトと法意識

スサナオノミコトは伊邪那岐の怒りを買って追放されてしまう。そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上る。

スサナオノミコトは高天原に行き、姉の天照大御神に別れを告げた。しかし、天照大御神はスサナオノミコトが高天原を奪い取ると疑った。それで、二人は疑いを晴らすために誓いを立てる。その結果、スサナオノミコトが勝ち、しかもどさくさにまぎれて騒ぎを起こした。天照大御神はかしこみて天の岩屋に隠れるまで迫られてしまった。神々が住まう高天原だけでなく、人々の住むアシハラノナカツクニも突然闇におおわれてしまった。そして太陽のない闇に包まれた日が続いた。そのため、スサナオノミコトは高天原を追放された。

この時の高天原はすでに最古の朝廷を形成していた。イザナギは高天原という国を打ち立て、天照大御神はこの国全体を継いだ。天照大御神は支配者で、諸神は官員として天照大御神に協力して国を統治した。スサナオノミコトはただこの国の一部を継いだだけである。高天原に対して、天照大御神は絶対の権威を持っていた。そのため、天照大御神と諸神はスサナオノミコトの生死を決めることができた。天照大神と諸神の意志は最初の法律基準である。

それでも、尊卑貴賤の意識はすでに形成されていた。

スサナオノミコトは災禍にしばしば遭い、天照大御神に不敬の行為を行い、不敬な言葉を吐っていた。これらの言行は完全に天照大御神と諸神に対する挑発であった。結局、スサナオノミコトは自分の行為に代価を払った――スサナオノミコトは高天原を追放された。権威に挑戦するときは代価を払うことになる。

天照大御神と諸神が法則になる。法律は国民が守らなければならない決まりである。スサナオノミコトは法律にふれ、まもなく処罰を受け取ることになった。

天対地の絶対的な優位性は神話の中のものであり、、法意識は諸神の意見と懲罰的な原則から誕生したものである。

三 天孫降臨

1 天照大御神と葦原中国の平定

スサナオノミコトは出雲の国で結婚して所帯を持ち,子孫を増やした。彼の息子である大国主神が、スクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させたといわれる。ある意味では、「葦原中国」の統一を実現したことを表している。でも、結局天照大御神が葦原中国の統治権を奪取した。

天照大御神は葦原中国平定のために天菩比神、アメノワカヒコ、雉の鳴女、建御雷之男神、天鳥船神を派遣した。その同時に、大国主神と彼の息子は一緒にさまざまな策略をとり、国を守っていた。

アメノホヒは派遣られた最初の人であった。しかし、彼は大国主神を説得しているうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。それは大国主神が反間計を用いたからである。

遣わされたアメノホヒが3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。しかし、アメノワカヒコは大国主神の娘下照姫命と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。それは美人計を用いたからである。

天若日子は8年の間復命しなかったため、思金神に鳴女(なきめ)という雉を送った。そのうえ天若日子は弓矢で鳴女を射殺した。それも反間計を用いたからである。

最後、建御雷が天鳥船とともに降臨する運びとなった。この二人は葦原中国を平定した。大国主神と息子は恐懼し、葦原中国を献上した。建御雷は絶対てきな実力を発揮し、すべての戦略を打ち破った。絶対的な実力に直面したため、大国主神はあらゆる策略を用いる余地がなかった。

天照大御神が差し向けた人は、派遣されるたびに能力が高くなり、彼女の態度が徐々に強硬になった。

大国主神はさまざまな手段を使って国土を防衛したが、最終的に強力な建御雷に負けた。たぐいない才知やさまざまな計略は時間を勝ち取るとはいえ、強権を阻止することはできない。強者がこの世界を支配するというのは諸神が従わなければならない原則である。

帝紀中にそんなことを述べる。神武天皇が死んだ後、彼の庶兄が彼の三人の息子を殺害しようとしていったが、成功しなかった。天皇の末子神沼河耳命が日本の第2代天皇になり、その敵である庶兄を殺した。その庶兄はさまざまな手段を使い、国を奪い取りしようとしたが、結局失敗した。神沼河耳命は強大な人になった。天照大神と神沼河耳命二人の立場は正義的だ。そして敵対双方の力がひどくかけ離れている。力と正義的な立場は成功に対して不可欠な条件である。

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