日本における伝統衣装文化の保護——中国に対する示唆を中心に

 2022-01-19 11:01

目      次

一 はじめに 1

二 先行研究 2

三 日本における和服の発展と保護 3

四 中国における伝統衣装の発展と現状 5

五 中国の伝統衣装保護への示唆 6

六 おわりに 8

致 谢 12

日本における伝統衣装文化の保護

——中国に対する示唆を中心に

孙海霞 20131322012

要 旨:社会は急速に発展し、文化変遷も加速し、民族の衣装文化が巨大な衝撃と脅威に見舞われている。伝統衣装はどのように現代社会に適応するか、伝統衣装文化の伝承と保護はどのように実現されるか、それは研究価値のある課題だと思われている。日本は経済発展だけではなく、人文ファッションも世界の先端を歩いているが、世界でも有数のきわめて伝統的な文化を重んじる国である。本稿では、伝統衣装の保護を研究テーマにする。和服を例として、和服の発展歴史を整理したうえに、伝統的衣装の保護のためにどのような努力をしているのかについてまとめた。日本の伝統的衣装に関する保護政策や措置などをまとめることを通して、中国伝統的衣装の発展現状と結びつけ、その示唆について論じてみた。

キーワード:伝統文化;和服;発展歴史;保護政策;示唆

 

一 はじめに

「人は古来より、その時代の生活を衣服に反映してき、そして、時代を追うごとに知恵を働かせ、意匠を凝らし、様々な衣服を作り、その国、その地域の人々によって今日まで受け継がれている」1。社会は急速に発展し、文化変遷も加速し、民族の衣装文化が巨大な衝撃と脅威に見舞われている。伝統衣装はどのように現代社会に適応するか、伝統衣装文化の伝承と保護はどのように実現されるか、それは研究価値のある課題だと思われている。

和服は日本伝統的衣装の代表として、日本の服飾の発展歴史を凝集している。日本は和服の伝承と保護において巨大な努力をしてきた。日本の和服の発展歴史と保護政策を研究し、伝統衣装文化の保護への示唆を引き出すことは中国の伝統衣装文化の保護に意味がある。

本稿では、中日両国の服飾の前史を含め、千百年前の服飾の発展から今日にまで至る中日両国の伝統衣装の発展歴史を整理し、日本の和服の保護に関する政策や措置などをまとめ、それが中国に対する示唆を検討していくことを目的としている。

二 先行研究

中日の伝統服飾に関してはこれまで様々な分野で、いろいろな視点からの研究がなされている。中国人も日本の伝統衣装について様々な研究をした。

中国の場合、李萍は『中日在保留伝統服装方面的差异分析』という論文の中で中日両国の伝統の服飾について異なる考えを論じた。梁惠娥、崔栄栄は中日伝統の服飾の現状を対照的に分析し、伝統的な服飾文化の伝承に影響を与える要素をまとめた。『論伝統服装創意設計中伝統文化的伝承与活化』という論文では、李暁魯と鄧子月は服飾デザインの角度から、本土の服飾を研究し、服飾における中国伝統的文化の応用と伝承を論じた。張華は和服が日本文化の濃縮で、構成要素の一つでもあると論じた。

日本の場合、北村哲郎は『日本服飾史』で日本の服飾の歴史を全面的に整理してきた。増田美子は『日本衣服史』では日本の服の発展と変遷の歴史を述べた。

本稿では伝統衣装の保護をテーマにし、日本の経験が中国に対する示唆を中心に論じていこうと考える。

三 日本における和服の発展と保護

1.和服の発展歴史

奈良時代から文字が記載しはじめていた。中国の服飾は日本に導入され、制度化と変わっていく。西暦8世紀に、中国の唐の服は日本に伝わり、日本の和服に影響を与えていた。多くの学者、僧侶は学習と交流のために中国へ渡った。これらの遣唐使の使者は唐の文化芸術、律令制度も日本に持ち帰っていた。衣服令は奈良時代に制定された制度の一つである。衣服令では朝廷で着る服として、礼服、朝服、制服が定められていた。全体的に、奈良時代の服の色はまだ比較的に簡単である。

平安時代に、国風文化で、日本の和服はだんだん外来の影響から抜け出して、独特な奢り美と精妙な特色を発展させていく。その服の色は多様化になり、それでも広い方向に発展していた。現在、平安前期・中期の庶民の衣服についてはよく分かっていないが、後期に成立されたとされる伴大納言絵詞には庶民の姿が描かれている。「男性の多くは水干姿で、袴は膝下までの丈である、女性は広袖や小袖の着流しで、腰布を巻いた姿も見られる」2

「室町時代は、服の上に紋(古代の日本には氏軒並みによって様々な紋があって、紋の数が2万種類を超えると推定されている)を印することに、私服デザインは礼服化に変わってきた」3。まっすぐと烏帽子は流行の紳士服として、人気があった。婦人服はもっと簡易化に向けて発展していく。

江戸時代は日本の服歴史上の最も繁栄した時期である。紳士服、婦人服は少し変化があっても、基本的な構造はもう決まっていた。明治まで、意味上の和服は定型して、その後にずっとあまり変わらなかった。特に今人々が着用する和服は、ほとんど江戸時代の服を継ぎ足した様式である。

 明治時代には、文明開化の流れの中で、伝統的な装束をよしとする考えはなくなっていき、服には欧米の影響が見られるようになった。つまり「洋服」である。洋服が日本に入ってきたため、公式の場で着る服装について議論された。女性は、着物を着ていた。男性は、一部洋服を着ていたが、正装は着物であった。

2. 和服の保護に関する政策や措置

次は三つの面から和服の保護に関する政策や措置を分析してみよう。

2.1 教育面

日本のファッション業の発展はめざましく、その服飾についての教育もかなり発達している。日本は伝統衣装についての教育を非常に重視し、伝統衣装文化を発展させるために、全国各地で何カ所公立と私立の専門学校を設立した。例えば、大阪の日本和服学院、関西和服専門学校、静岡県静岡市村和服特殊学校、沖縄大原和服専門学院など。各学校や学院は和服をめぐって和服の基礎学科、和服の色彩研究、和服の制作コースなどのような多くの授業を開設している。また、日本には博物館がたくさんあるが、大量の伝統的民族服飾などに関する歴史的資料が所蔵されている。学生たちに伝統的服飾コレクション

を展示することで歴史と文化の知識を伝え、伝統衣装の文化の受容と伝承に大きな役割を持っている。

2.2 社会政策

日本では、その伝統文化を心から愛するのが伝統文化財に対する態度で表すことができる。大型の建物から、文献や日常に使われる器具までに至って、日本人はその保護にかなり力を注いでいる。日本人は時代的特徴のある物に対して、たとえ普通であっても収蔵し、保存する価値のある文化意味を持っているのである。

日本人はその伝統文化を好むため、伝統的な文化財に関する特別な政策がたくさんある。日本の京都で、もし和服を着る女性が出かけると、ショッピングは全て1割引を受けることができて、いかなる公園も無料に入ることができて、その上タクシーに乗って1割引特典を受けることができるかもしれない。日本の「文化遺産保護法」の規定により、日本の伝統的芸能はいかなる詳細なことが変更することができないという。和服は現代の社会に広く流行ることができるのは日本が伝統的文化をとても珍重することの良い証拠である。

2.3 文化広報

 伝統服飾は文化遺産とみなされる存在である。日本政府は世界に自国の文化遺産を紹介し、文化遺産の保護に従事する公益民間社団の支持によって文化遺産の保護と発展を目指している。まず毎年に政府の組織あるいは社団法人組織した形式を通し、海外で様々な日本文化遺産と日本伝統的文化の展示、学術、交流活動などで世界に日本文化遺産を宣伝し、広めようとしている。政府的イベントに限らず、日本の多くの民間活動組織も日本政府のこの文化戦略に力を貢献している。

 和服は現代日本社会の応用がまた文化宣伝にも体現している。日本のテレビ、ドラマ、映画、広告などのメディア番組を見れば、すぐ和服がこれらのメディア番組によく使われた要素の一つだとわかる。和風旅館の広告ならば、旅館のそばに女性あるいは男性は和服を着て出演しなければならない。ドラマの中で、浴衣はよく出ているホームの居服である。和服は日本の伝統的ものを代表していて美しく信頼感を生じさせることができ、そのため広告業界では和服のイメージが非常に好まれるのである。

文化広報は一つの手段として和服の伝承と発展に対して積極的な影響がある。

四 中国における伝統衣装の発展歴史と現状

中国の服飾歴史の起源は、原始社会の旧石器時代に遡ることができる。当時の人々は既に獣皮など自然の材料を利用して簡単な服を作ることができた。 だから、中華服飾文化歴史はそこから始まったと言える。

殷代から西週は中国の奴隷制社会の栄えた時期で、同時に分けて段階の体裁や冠服制度や服章制度など徐々に確立する時期である。殷代の上衣下裳は中国の最も早い衣服制度における基本モードである。「週代から出土した人形文物によって、服飾の繁簡は違うが、上衣下裳ははっきりして、中国の服の基本的な形を定めて作って、「衣服」はすぐ服の呼び名になってきた」4

春秋から漢の末までの長い歴史過程の中で、中国の古代の服飾は中国社会の変化に伴っていて、同じく規範化した発展状態に多様化することを現することを呈して、中国の古代の服飾の初歩的に繁栄を開きた。

隋唐の時期、服飾の発展は布地か衣式にかかわらなくて、全て空前の光り輝いた光景を現することを呈していた。そのため隋唐の時期は中国の古代服飾の発展の最も繁栄になった時期である。

清になるまで、服飾に明代の漢民族伝統的服飾を取り消した。民族の融合は時代の風潮で、時が経つにつれて、材料の節約も制作と着物も便利で満服飾最終的に受け入れられていた。

20世紀80年代中期は中国現代の服装業がスタートしたばかりで、西洋芸術の繁栄と西洋のファッションの工業の弾圧に直面して、中国ファッション界から「ファッション民族化」という呼びかけを提出し始めた。

伝統的衣装の保護と伝承についても、中国でも関係する活動が行われている。例えば漢服復興運動、漢族の伝統的な服装である漢服を公共の場で着用して広めようとする文化運動がある。漢服を着用することを民族文化の復興の形の一つとされているが、運動に参加する人は大学生および若いサラリーマンを中心にしているので、全面的に普及されることができない。

五 中国の伝統衣装保護への示唆

1.1 教育面における施策

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