井上哲次郎における宗教と国民道徳

 2022-01-19 11:01

目 次

一 はじめに 1

二 井上哲次郎とその道徳論 2

三 井上の宗教観 6

四 「倫理的宗教」の提唱 8

五 おわりに 9

致 谢 14

  

井上哲次郎における宗教と国民道徳

陈思宇 20121322036

要旨:本稿は、井上哲次郎の思想、特に其の「倫理的宗教」について、詳しく検討する試みである。井上は「倫理と宗教との関係」において、「…道徳は仏教若しくはキリスト教に代わり、宗教の地位を占めるべきであり…」という主張を持ち出した。周知のように、宗教は人類の歴史の中で非常に重要な地位を占めている。キリスト教や仏教のような伝統宗教は人類文明、また道徳観念の形成に大きな影響を及ぼしている。道徳と宗教との関係は今でも、哲学範囲内においてしばしば取り上げられる課題である。本稿は、井上の「倫理的宗教」の内容、及びその現実的意味を検討する試みである。本論は三つの部分に分けられる。まず、「倫理的宗教」の「倫理」、つまり井上の道徳論を考察する。次の第二の部分では、井上の宗教観を考察する。最後の部分では、井上の「倫理的宗教」説について考察する。

キーワード:井上哲次郎;倫理的宗教;道徳;

一 はじめに

 本稿は、井上哲次郎の思想、特に其の「倫理的宗教」について、詳しく検討する試みである。井上は「哲学字彙」の編纂などでもよく知られていて、日本の明治時代の思想界では特殊な地位を占める人物である。彼は「官僚学者」であり、国家主義者でもあった。にもかかわらず、彼は哲学の立場から見れば、間違いなく日本の観念論の確立者である。井上は八歳から漢学を学び、そして東京大学で哲学を学び、1884年にドイツに留学した。東洋思想と西洋思想の間に立つ人だとよく言われる。

 井上は「倫理と宗教との関係」において、「人類の生命には、仏教やキリスト教より一層重要なものがある。進歩のためには唯、道徳を要するのみである。それゆえ、道徳は仏教若しくはキリスト教に代わり、宗教の地位を占めるべきであり…」1という主張を持ち出した。周知のように、宗教は人類の歴史の中で非常に重要な地位を占めている。キリスト教や仏教のような伝統宗教はある程度で人類の歴史に影響を及ぼしたと言っても過言ではない。道徳と宗教との関係は今でも、哲学範囲内の注目される課題である。では、井上の「倫理的宗教」はどのようなものか。本稿が明らかにしたいことは主に二点である。一つは、井上が何故に「倫理的宗教」を提唱したのかというところであり、もう一つは何故に「倫理的宗教」は実行できると考えたのかという問題である。それを考察するには、まず、井上の倫理観、つまり道徳論の部分と宗教観を論じなければならない。

 日本国内でも、中国でも、井上についての研究は多くあげられる。その道徳論、武士道、儒教観や現象即実在論など多方面から論じられている。例えば、大阪市立大学の高坂史朗は、「東洋と西洋の統合」一文において、井上の一番顕著な功績は『日本陽明学派之哲学』、『日本古学派之哲学』、『日本朱子学派之哲学』という儒学三部作にあると考える。2「井上哲次郎武士道論考」では、戴宇は井上の武士道が忠孝を強調し、最後軍国主義のために仕える道具になりがちであると指摘した。3そして、卞崇道は「思想における東洋と西洋の間に」で、井上は自覚的意識をもって、東西思想の融合を試みたが、「井上哲次郎を代表とする保守的な思想家たちは批判的な視点が弱いゆえに、結局融合の名義で折衷的混合に留まっている」と指摘した。4「井上の江戸儒学三部作」では、井ノ口哲也は、井上による江戸儒学の学派分類に対する批判文章を確認しながら、三部作が作られたことの意味について考察した。5

 本稿は、以上の先行研究を踏まえながら、井上の「倫理的宗教」の内容、及びその現実的意味を検討することを目的とする。

二 井上哲次郎とその道徳論

1、井上の思想遍歴

 明治初期、「文明開化」を背景に、積極的に西洋の制度、思想、文化を学び、今までの伝統思想と文化を批判することがもっとも重要な課題となった。この中で、伝統文化の基礎の一つとなる儒学はその批判の対象となり、儒教の学者たちも大変窮屈境地に陥った。こうした風潮の中で、仁義や道徳はだんだん重視されないようになった。「西南戦争」もひどい混乱をもたらした。明治政府はまた、政治の危機に陥った。

 その危機を機会として、伝統の道徳観を信じている人々は、伝統に復帰しようと唱えた。彼らは、当時の危機の原因は文明開化がもたらした道徳の消失であり、国家は儒教式の道徳教育を重んじるべきだと主張した。明治10代以後、そういう風潮は主な地位を占めるようになった。

 井上哲次郎は八歳から漢学を学び、1871年に長崎の広運館で西洋知識を学んだ。そして、「なんとなく哲学を修めたい」という希望を抱えて6、東京大学哲学科に入学した。大学にいた期間、彼はアメリカ籍教師フェノロサ7に哲学を学び、中村敬宇に漢学を学び、横山由清に国学を学び、原坦山に仏教学を学んだ。1884年から1890年の六年間、井上はドイツに留学するというのをきっかけに、ドイツ哲学を始め、西洋哲学を全面的に勉強した。

以上述べたように、井上は東洋の儒学と西洋の哲学をともに身につけた。前者は彼の学問の背景の基礎となり、後者は彼の哲学観を育成したのである。「それゆえ、彼はまさに東西思想の間に立脚する思想家であった。」8と、卞崇道が指摘した。

2、道徳論としての「国民道徳」

2.1国家主義的立場

 井上哲次郎の道徳論を論じる場合、彼の国家主義者立場から考察せねばならない。彼はその立場から、1894年に発表した「敕語衍義」において「教育ニ関スル勅語」を解説した。天皇制度の合理性を宣伝しながら、自分の倫理観を正当化しようとしていた。

 1890年、明治天皇が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対し、教育に関した「教育ニ関スル勅語」を発表した。それは以後の日本において、政府の教育方針を示す文書となった。「教育ニ関スル勅語」が発表された直後、様々な解説が次々と刊行された。その中でもっとも政府に認められるのは井上の「敕語衍義」であった。

 そして、1912年に、井上哲次郎は伝統的な神道、仏教、儒教と西洋の倫理思想をもって、「東西洋倫理打って一丸とする」と主張し、絶対的な天皇主義のために「国民道徳論」を構築した。彼は「国民道徳概論」の中で、国家主義と儒教思想に基づいて全面的に国民道徳を展開した。井上は日本の儒教に西洋の倫理説を注ぎ、天皇制度を守るための国家主義国民道徳論を作った。

 『敕語衍義』や『国民道徳概論』で、その国家主義的傾向が見られる。例えば、『敕語衍義』の叙において、井上は次のように述べている。

蓋シ敕語ノ主意ハ、孝悌忠信ノ徳行ヲ修メテ、国家ノ基礎ヲ固クシ、共同愛国ノ義心ヲ培養シテ、不虞ノ変二備フレニアリ、我ガ邦人タルモノ、盡ク此レニ由リテ身ヲ立ツルニ至ラバ、民心ノ結合、豈ニ期シ難カランヤ…9

 つまり、「教育ニ関スル勅語」の主旨は孝悌忠信と共同愛国にある。その孝悌忠信は、国君に崇敬するだけでなく、国君の先祖にも崇敬のも必要だと述べていた。周知のように、日本の国君は国家の代表である。すなわち、それは国民の国家に対する忠誠を強調しているのではないか。

井上の国民道徳論としてのもう一つ重要な内容は彼の武士道論である。井上によると、武士道は単なる武士の道徳だけでなく、階級を超え、かつ時代を越える道徳であり、国民道徳である。武士道に復帰するという主張は、当時の道徳混乱に応じて生まれたのである、と言っても良い。しかし、それを反論する人も多くいる。当時、竹越与三郎は「日本は何故に勝ちしか」において、武士道は決して日本の特有の国民的道徳ではなく、世界中の各国とも、封建時代で持っている道徳だと批判した10。評論家であった戸川秋骨も其の「非武士道論」で、武士道は特権階級の道徳であり、特権階級が存在しない今日ではもういらない道徳だと指摘した。その論争において、当時一部の日本思想家がもうすでに武士道の存在の合理性を疑ったということが表明された。ところが、井上は武士道の正確を疑いもしなく、武士道を国民道徳の重要な部分として主張した。  

2.2国民道徳論と儒教的倫理観

 井上によると、国民道徳の内容には、日本民族の精神、儒教、仏教、西洋文明という四つの方面がある。儒教と仏教は別のところからのものであるが、長い時間を経て、もうすでに日本の民族精神に同化されていて、国民道徳の内容となった。「忠孝」を中核とする「教育ニ関スル勅語」はまさに、そのことを表している。井上の道徳論も、儒教を中核として述べていたのも明らかである。もちろん井上の儒教に関する思考の代表作というと、井上の江戸儒学三部作ほかはないが、本論は三部作の内容には及ばなく、彼の道徳論が表した儒教思想だけ述べる。

 井上の道徳論において、儒教思想の一番顕著なのは「忠孝一本」というところである。儒教思想において、忠孝は強調されている。まずは主君に忠誠を尽くし、そして両親に孝道をする。井上はその一層を超えて、「忠孝一本」を提唱した。

 『国民道徳概論』において、井上は、国民教育の目的は国民を国民として教育すると考えている。つまり、国民は単なる一人ひとりの個体ではなく、国民という団体として教育しなければならない。国民道徳は単なる国民の道徳だけでなく、国体の道徳でもある。井上は七つの国体道徳を列挙した。すなわち国体と政体の分離、忠君と愛国の一致、皇室が国民に先立って存在しているということ、祖先崇拝と家族制度、君臣の分が明らかであること、国民の統一体であるとの七つのことである11。井上によると、その中で一番重要なものは祖先崇拝と家族制度である。「個別の家族制度」、つまり個々の家族、と「総合家族制度」、即ち個々の家族を統一した国家的な家族との融合は日本独自の、優れるものである。この「総合家族制度」が日本の国体である。そして、「忠」と「孝」は一つのものになれる。

 「国君ノ臣民二オケル、猶ホ父母ノ子孫ニオケルガ如シ、即チ一国ハ一家ヲ拡充セルモノニテ、一国ノ君主ノ臣民ヲ指揮スルハ、一家ノ父母ノ慈心ヲ以テ子孫ヲ吩咐スルト、以テ相異ナルコトナシ」12

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