電車から感じられる日本人の真面目さについて

 2022-01-19 11:01

目         次

一 はじめに 1

二 電車における真面目さを反映する具体例 1

三 日本人の真面目な国民性の形成時間 5

四 日本人の真面目な国民性の形成原因 6

五 おわりに 8

致 谢 11

電車から感じられる日本人の真面目さについて

吉梦玥 20121322033

要旨:電車は日本人の日常において欠かすことのできない公共交通機関の一種である。毎日駅の中で行き来している人々の数は数え切れないほど多くて、その中にはさまざまな社会階級の人が含まれているはずである。小さな日本社会と言っても過言ではなかろう。よく言われる日本人の「真面目さ」もその中から窺われるに相違ない。本稿は電車の中における日本人の礼儀作法を研究対象に絞り、まず電車において日本人の真面目さを具体例に挙げて、それからそれらの原因などを分析して、日本人の真面目さについての謎を解いていくつもりである。本稿の研究を通して、少しでも日本人も国民性を究明することができればと思われる。

キーワード:電車;日本人;真面目さ;礼儀作法;国民性

一 はじめに

朝起きてから電車に乗って通勤するか通学するかいろいろ忙しい一日を始めるのは日本人の日常であろう。私も日本にきてほぼ毎日JR総武線1で学校を通っている。そして、このさまざまな人が行き来して賑やかな場所から何が感じられるのだろうか。それについて述べたいと思う。

二 電車における日本人の真面目さを反映する具体例

日本人といったら、深く考えずに思い出したイメージの中には、「真面目」というのは多分一番最初に湧いてくるものだといっても過言ではないだろう。丁寧な挨拶、頭から靴まで整った身なり、たゆまず10時過ぎでも残業中の姿など、いちいち数えるならきりがない。ですから、ここで三つだけ取り上げて分析したいと思う。

1 安寧秩序

日本の電車は非常に込んでいて、身の動きも取れないぐらいである。いいえ、それぐらいはまだしも、特にラッシュアワーの間に、もう肉の餅に押さえられるほどなのに、駅員さんがどんどん人を電車に押し込むこともめったに見られないとはいえない。それなのに、喧嘩どころか、駅員さん以外に誰かが大きい声で騒ぐことさえ見たことがほとんどない。

すべては整っている。電車を待っている人々がきちんと二列に並んでいる。上がる時は降りる人がすべて降り終わるまで扉の両側で焦ることなく待っている。大きいカバンがある場合はそれをはずして床か荷物棚に置いてスペースを空けるようにする。降りる時も、大変込んでいるので、降りづらいが、「すみません。降ります」と声をかけたら、大抵の人はできるだけ身を動かしてスムーズに降りるようにする。「日本人は常に何かが待っているみたいに急いているが、こういう時はいつも争わずにやっていられるよね」。と筆者は時々嘆いている。

そして、最も驚いたのは日本人は電車の中での静かなところである。まずは日本の電車では電話をすることが禁じられているのである。もし電話がかかってくる場合は無視するか一旦受けて「すみません。今電車の中にいるので」と言ってすぐ切るかどちらを選ぶことにしている。それがゆえ、電車の中でうるさく電話をする声が聞こえなくなってしまう。また、一つの車両の中に何十人か百人も乗っているのに、誰も喋らない。近くの人の呼吸と駅に着いた時の車掌の声しか何も聞こえない。人々がスマホに触ったり本を読んだりすることにしている。最初日本に来た時、まだ前みたいに平然と友達と話したりしていたが、間もなく車内の静けさに迫ってつい黙ってしまった。日本人の静かなところはもうすでに恐ろしい迫力になったかもしれない。

また、面白いのは日本の電車の中には「女性専用車」という車両がある。それは一定の時間帯または駅に限って女性と子供と何か病気や障害のある人しか乗れない車両のことである。私は何度も乗ったことがあるが、その中には確かに背の高い男性などがいることは一度も見た覚えがない。

ほかに、電車みたいな人だらけのところでも、何気なく携帯や財布などをお尻のポケットに置くことができる。泥棒に盗まれる心配はほとんどない。なお、盗まれたのではなく、忘れものがある場合、駅の遺失物センターで探してみたら、取り戻す可能性が高い。電車の中だけではなく、もしカメラやスマホをレストランなどに忘れても、お店の方は丁寧に預けておく。若い女性は夜一人帰っても恐がることはないなどのように、こういう整然とする秩序のおかげで、世界から「安全の国」と褒められているのだろう。

以上は秩序への取り組みから感じられる日本人の真面目さである。

  1. 環境への思いやり

駅のプラットホームに立って、もし喉が渇きお腹がすいたら、数歩だけ歩いて、その先は自動販売機が整然と並んでいる。自販機のすぐ隣にゴミの捨て場がある。

しかし、多くの国とは違って、さまざまな分類がある。それぞれのゴミ箱の上には、「ビン」や「カン」や「ベットボトル」などが書いてある。そして、それぞれに応じて絵もついている。日本語のわからない人にとっても一目了然であろう。

また、新聞と雑誌類のゴミ箱も設置されている。その隣は常にほかのゴミというゴミ箱が立っている。それを初めて見た時、筆者は驚きながらも懐かしく思った。日本では、ゴミは厳しいといえるほど分けられているので、そういう「ほかのゴミ」みたいなビン・カン類と新聞雑誌類を除いてなんでも入れられるゴミ箱はめったにない。中国みたいなあと思ってしまった。

それに最も感心したのは、それらのゴミ箱の少しも汚れがないというところである。ゴミ箱と言ったら、最初に頭に現れたのはきっと汚い、臭いという嫌なイメージしか想像がつかないだろう。だが、日本のゴミ箱は全く違う感じを与えてくれたのである。箱の全体は綺麗で、近づいても臭い匂いがしない。「これ本当ゴミ箱かよ」と疑ってしまうかもしれない。ゴミの分類に厳しいのはまだ納得できるが、ゴミ箱までそこまでしたなんて日本人は真面目としか言えなかろう。

それで、もし外でゴミが出ても、持ち帰って捨てるしかない。電車の駅は常にゴミ箱があるが、外の道のほとりにはないからである。持ち帰ったら、さらに面倒なことになってしまう。例えば、ベットボトル一本だけで三つの部分に分けて捨てなければならない。蓋とボディーに貼ってあるそのシートは可燃ゴミで、残りのベットボトルは資源ゴミとして回収されることになっている。ほかには、陶磁器などは不燃ゴミで、ソファーやテレビなど大きいものは粗大ゴミという形である。それぞれの分類に応じて、捨てる曜日も違う。例えば、私の住んでいる墨田区では、月曜日と木曜日は可燃ゴミで、金曜日は資源ゴミとのことである。不燃ゴミは二週間で一回しか捨てられない場合が多い。捨てる時は必ず透明か半透明のゴミ袋に入れて捨てることまで決められている。粗大ゴミは勝手に捨てることはできなくて、必ずゴミセンターに連絡しておいて、お金も払って回収してもらうことになっている。それに、区によって、各々のルールも違っている。ですから、引っ越すたびに、新しいルールに慣れなければならない。

聞くだけで面倒くさいのだろう。では、そんな手数をかかってもゴミを分けて捨てることにしている日本人の真面目さははっきりしているのだろう。

  1. 時間を厳守

よく聞いたことだが、日本人は時間に細かい国民である。待ち合わせには早めにやって来て遅れないのはもちろん、電車でもキッチリ時間通りの運行が当たり前なことである。筆者は日本に来たばかりの頃、非常に不思議なことだと思っていた。そんなに遠い距離から走ってくる電車が、たとえ2、3分ぐらい遅れても普通ではなかろうか。しかし、日本の駅では電車がたとえ1分ぐらい遅れたら、遅延情報として「ただいま、電車が1分ほど遅れて運行しております」といった放送をよく耳にする。もし5分以上も遅れたら、ただちにホームに立っている人たちは時計を取り出してイライラし始める。ただ何分ぐらいでそこまで大げさにしなくてもよいのではないか、とでも思ってしまった。それに、学校の先生や会社の上司などに渡すために「遅延証明書」という名刺ぐらいの大きさのメモももらえる。電車が一旦遅れたら、駅の改札口では、駅員さんたちが「申し訳ございません」と頭を下げて謝りながら、それを配っているという場面が必ず見られる。

これはほかの国では、絶対に想像できないことである。私はたまたま海外の万国反応記2というウェブサイトを見たら、いろいろな国の人々が日本人の時間に厳しいという点についてのコメントが書いてある。その中には、「電車が遅れたらメモ(遅延証明書のこと)を貰って、上司にそれを渡し遅刻の弁明をするなんてオーストラリアではそんなことしたらきっと笑われるだろう」や「自分の国では20分遅れでも、駅の担当者はただ来ないねと言うだけで、こんなことは珍しいことでもない」など、国々の人はそれが不思議だと思っている。また、「鉄道はイギリス人が発明した偉大な遺産だし、1世紀以上前は業界トップだった。そして今は日本や他の国に先を越されている。技術でもスピードでも時間厳守でも・・・」や「電車の遅れを誇るべきじゃないよ。アルゼンチン(どこでもそうだが)では遅延は最低評価だ。しかし、日本人の執着心もまたおかしいと思ってる」みたいな、悔しいながらも、日本人の時間への真面目な姿に感心している人もいる。

そして、電車に乗る人々の行先である会社企業などはさらに時間に厳しい。1分程度の遅刻も許されない。筆者は松屋3というファストフードの店でアルバイトをしたことがある。2時から始まることになっているが、1時59分に入ったら注意されてしまった。「2時から入るんじゃない。仕事を始めるのだよ」と言われた。私は「1分だけで、そんなに大げさなんて」と思いながらも時間の大切さをしみじみと感じた。

三 日本人の真面目な国民性の形成時間

確かに日本人は、世界中の人々から「真面目」と評価されている。東日本大震災後の日本人の秩序の立っている行動は今までも記憶に新しい。以上述べたように、日常生活においても、日本人の真面目さを表す逸話には事欠かない。しかし、日本人は生まれながら真面目なのか。そうでなければ、いつから真面目になったのか。

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