『友情』からみる武者小路実篤の個人主義

 2022-01-19 11:01

目         次

一 はじめに 1

二 白樺派と武者小路実篤 2

三 『友情』のあらすじとその人物像 3

四 『友情』における武者小路実篤の個人主義 4

五 終わりに 8

致 谢 14

『友情』からみる武者小路実篤の個人主義

林海纳川 20121322017

要旨:武者小路実篤は白樺派の思想的な支柱で、数多くの作品を残した。そのなか、若い読者に愛読され、近代日本の代表的な青春文学とも言える『友情』という小説が非常に醍醐味のある作品であると言えよう。夏目漱石の『それから』の跡を継い、三角関係をめぐって書かれた『友情』は、『それから』とはまったく違う方向に沿って進んでいった。失恋により、死に至った『それから』の主人公と仕事で恋敵に挑みを申し込んだ『友情』の主人公はまるで雲泥の差である。『友情』に表した武者小路実篤の個人主義とはどんなものであろう 。本稿は武者小路実篤の『友情』を研究対象に、検討を展開していくつもりである。『友情』に登場する人物像の分析を通して、武者小路実篤の個人主義を探っていたいのである。本稿の研究を通して、『友情』という小説が伝えようとするものを少しでも明らかにすることができれば有難く思われる。

キーワード:武者小路実篤;白樺派;『友情』;個人主義;自我;

一 はじめに

 武者小路実篤は明治18年(1885年)に生まれた。武者小路家は江戸時代からの貴族である。子供の頃から一流の教育を受けてきた。高校までは貴族学校である学習院での勉強を経て、その後、東京帝国大学に入学した。そこで、学習院時代から友達である志賀直哉や木下利玄らと一緒に「十四日会」というグループを組織した。そして、1910年(明治43年)に、文学雑誌『白樺』を創刊した。彼らは人道主義や個人主義などの理念を掲げ、生命や自我を肯定している。その白樺派の思想的な支柱として、武者小路実篤は数多くの作品を残した。そのなか、若い読者に愛読され、近代日本の代表的な青春文学とも言える『友情』という小説が非常に醍醐味のある作品である。大正8年(1919年)から『大阪毎日新聞』で連載した『友情』は、実篤が新しき村での二年目、労働生活の合間に執筆されたものである。夏目漱石の『それから』の跡を継い、三角関係をめぐって書かれた『友情』は、『それから』とはまったく違う方向で進んでいった。失恋により、死に至った『それから』の主人公と仕事で恋敵に挑みを申し込んだ『友情』の主人公はまるで雲泥の差である。自我尊重に対してかなり近い理念を持つ武者小路実篤と夏目漱石だが、なぜ実篤がそんな結末を書き出したのか。実篤がその物語を通して我々に何を伝えたかっただろう。本稿はその問題について、『友情』に登場した人物を分析し、武者小路実篤の個人主義追求したいと考えられる。

 武者小路実篤についての研究は日本でも中国でも少なくはない。とくに、武者小路実篤が創立した新しき村やトルストイの影響についての研究が多く見られ、また、実篤が初期の人道主義者から後期の戦争支持者への変遷にも多く触れている。しかし、単に実篤の個人主義についての研究はそんなに多くはない。ましてや、一つの作品からみる実篤の個人主義はさらに少ない。

 日本では、大津山国夫 の『武者小路実篤論--新しき村まで』、『武者小路実篤研究--実篤と新しき村』などの作品で実篤が夏目漱石の個人主義に対しての受容と変容について論じている。主に、「則天去私」の「去私」について、実篤がそうとも思わないことが書かれてある。また有光隆司の『武者小路実篤の「個人主義」思想:夏目漱石との関連で』と遠藤祐の『武者小路実篤の 「自己の為」 をめぐりて』なども「個人主義」に触れている。

 中国では黄薇の『「友情」に見られる武者小路実篤の個人主義——夏目漱石の受容と変容」や、白豪の『武者小路実篤の初期作品における自我意識』などの論文も実篤の個人主義と自我意識に触れている。実篤の自我意識の変化過程を明らかにしている。

二 白樺派と武者小路実篤

 20世紀、一度日本文学界に大きな影響を与えた自然主義はますます現実を露骨に描写する傾向が強くなってきた。そこで、反自然主義運動が盛んになり、反自然主義の文学流派も次第に舞台に上がってきた。その一つが文学同人誌『白樺』を中心として大きな働きを果たした白樺派であった。

 白樺派は日本文壇におけるもっとも重要な文学流派の一つとも言えよう。1910年(明治43年)に創刊された同人誌『白樺』を主な舞台として活躍し、次第に世間に知られてきた。彼らは理想主義、人道主義や個人主義などの理念を掲げ、生命や自己を肯定する。白樺派は日本文学界に新しい空気を取り入れ、徐々に衰えていく自然主義にわかって日本文壇の中心となった。

 その代表作家及び『白樺』の創刊者の一人である武者小路実篤が「文壇の天窓を開け放って、爽な空気を入れた」と芥川龍之介が評していた。武者小路実篤は明治18年(1885年)に生まれた。武者小路家は江戸時代からの貴族である。子供の頃から一流の教育を受けてきた実篤が学習院で高校までの勉強を経て、東京帝国大学に入学した。そこで、「十四日会」を組織し、雑誌『白樺』を創刊した。自然主義のその悲観的で、消極的な思想を強く訴え、自我尊重を主張した。第一次世界戦争のとき、実篤は反戦思想や人道主義を高揚し、『その妹』(1915年)『ある青年の夢』(1917年)などたくさんの作品を書き出した。その後、階級闘争の無い調和的な世界という理想な世界に夢中になり、新しき村を建設した。しかし、1936年、ヨーロッパ旅行中、黄色人種としての屈辱を体験したがゆえに、実篤は戦争支持者となっていった1。1941年、太平洋戦争で、実篤はトルストイの思想から変遷し、個人主義や反戦思想をすべて捨て、第一次世界の時とは打って変わって戦争賛成者になった2。本論文は、『友情』という小説を通して、武者小路実篤の前期の個人主義について詳しく分析するつもりでいる。

 

三 『友情』のあらすじとその人物像

1『友情』のあらすじ

小説は杉子に恋している野島と大宮との三人を中心として展開している若者の恋と友情の物語である。全文は上・下編の2部で構成されている。上編は主人公である野島を第一視角で野島のめから見る第二主人公である大宮とヒロイン杉子とのあいだでの曖昧な関係である。そして、下編は大宮と杉子の手紙のやりとりから明かされる野島が失恋した真実である。

脚本家野島と、新進作家の大宮は親友である。野島は大宮の従姉妹の友人、すなわちヒロインである杉子に一目惚れした。野島はそのことを親友の大宮に打ち明けた。大宮は心から野島と杉子が結ばれようと野島を応援した。しかし、大宮に心惹かれる杉子は野島の愛を拒み、パリに去った大宮の元へ行った。失恋と友人の裏切りを耐え、野島は大宮に仕事上での決闘を申し込んだ。

2『友情』の人物像

 2.1 野島の人物像とその自我意識

 野島は自己意識の強い人で、自分の価値を強く思っていた。恋をしても、決して自分の意志を失ったことはなかった。もっとも私の目を引くのは以下の言葉であり、

「彼はいくら恋をしても自分の誇りを捨てることのできない人間だった。」3

まさに、その通りである。恋に対してだけじゃなくて、ところどころから野島のいわゆる誇りというものが見られる。まだ世間に認められていないにもかかわらず、自分の才能を軽く見てはいなかった。彼は自分が誰より優れているということを信じ、世間は自分の真の価値がわかってないと思っていた。相手が先輩だとしても、気に入らなかったら、決して自分の方から頭を下げるのが嫌がっていた。または、親友の大宮への気持ちも大変複雑であった。大宮の成功は自分の成功のように快く受けとめるわけにもいかず、やはり少し淋しくなったと野島はそう思っていた。その後、大宮に杉子への思いを打ち明けてからといもの、大宮からの応援をありがたく思いながらも、どこか不安も感じないわけには行かなかった。殊に、杉子の兄から杉子は大宮のものを愛読しているということを聞いて、やはり嫉妬という感じを覚えた。心底から尊敬している人に対しては、嫉妬はしないはずであろう。嫉妬したのは、彼はまったく同じ基準で自分と大宮を測っていたからであると考えよう。野島は自分より顧みられている大宮に対し、自分を否定したり立場を下げたりすることはしなかった。大宮とは同じステータスで自分をおいて自分自身のことを強く思っていた。

 なお、杉子に恋している野島もまったく自分の世界に浸っているように見える。野島にとって、結婚はすべてで、女は妻としてより他、値のないものだと考えていた。そういう彼は、杉子に会ってから、杉子を自分の理想の妻として描かれていた。杉子のことを理想以上に思い、自分にはもったいないくらいの素晴らしい女性だと思い込んでいた。彼は以下のように杉子を賛美していた。

 「彼女の美しさは何処からくる。これを空と云うか。それにしてはあまりに美しい。(中略)それにしてはあまりに貴い。魔力か、魔力か。それにしてはあまりに強すぎる。」4

また、大宮の従姉妹武子から聞いた話によると、杉子は「器量は、(中略)十人並みよりは美しい方だそうだが、性質は無邪気で、快活で、一緒にいるとへんに人を愉快にさせる性質をもっていて、体の随分いい人そうだ」。間違いなく、杉子は魅力のある人であろう。しかし、本当に杉子は野島が賛美しているようにまるで神様の存在のような人なのか?答えは否定である。大宮への手紙に、杉子はこう書いてある。

「野島さまは私と云うものをそっちのけにして勝手に私を人間ばなれしたものに築きあげて、そして勝手にそれを賛美していらっしゃるのです。」5

杉子のこの言葉から、野島は自分の思いで杉子という人を理想化させているということを察するにかたくないであろう。野島は杉子ではなく、自分の思うままに自分にとって一番理想的な杉子という女性として見ていた。自分の意志を強引に杉子に押し付けて、杉子のことは実際何もわからなかった。彼は本当に杉子を愛していたのか。私から見れば、あくまで野島はただ自分を愛していただけにすぎない。愛は人を盲目させるとよく言われるが、野島はそうではなかった。彼はきちんと理性を保って、自分の原則を守っていた。彼は、杉子の母にも杉子にも媚びたりお世辞を露骨に言ったりする仲田のもうひとりの友達、早川を軽蔑していた。男の誇りを失ってまで、女を獲得しようとすることはあまり恥ずかしいことで、自分は恋する女の為に卑しい真似はしたくないと言っていた。また、こういう一節もある。

「彼(野島)には結婚することが二人にとって幸福でなければならなかった。(中略)杉子が自分の処によろこんで来てくれなければ、彼の自尊心はむしろ結婚したくないと思いたがった。」6

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