『雪国』から見る川端康成の女性観

 2022-01-19 11:01

目 次

一 はじめに 1

二 先行研究 2 

三 『雪国』における女性美 3

四 川端康成の女性観 7

五 その女性観の形成要因 10

六 おわりに 12

致 谢 16

『雪国』から見る川端康成の女性観

张庆芳 20141322013

要旨:川端康成は日本の有名な小説家である。1968年、『雪国』、『古都』、『千羽鶴』といった三つの作品で日本第一、アジア第二のノーベル文学賞受賞者となった。その作品には、愛と美しさがいつも変わらない主題である。そして、川端康成の作品で最も特色があるのは女性に対する描写である。川端の小説の中で登場した女性は独特の美しさがある。そして、『雪国』は川端康成の作品の中で一番文学性があると言われる。この小説に登場した女性主人公の駒子と葉子は、日本の伝統的な美しさを表しているばかりでなく、それぞれの性格と人格の美しさも表している。本稿では、『雪国』における女性美を研究し、川端康成の女性観をまとめ、さらにその女性観の形成要因について論じてみた。川端が描いた女性像はみんな純潔で、そして、「ものの哀れ」や「幽玄」などといった日本の伝統的な美意識と合致するイメージが強い。それは、作家自身の家庭背景と成長環境及び社会背景と日本の伝統的な文化の影響によるものだと言えよう。

キーワード:川端康成;『雪国』;女性観

一 はじめに

川端康成は日本最初のノーベル文学賞受賞者である。日本人の心の精髄を、優れた感受性をもって表現するその叙述の巧みさでたたえられる。その作品には、愛と美しさがいつも変わらない主題である。それに、人の美しさと悲しみへの感受性が鋭い作家という評価があり、その作品の基調は「物の哀れ」、「幽玄美」それに「余情の美」である。特に、川端康成は女性を描くことにかけては優れた才能がある。川端の作品は常に女性が主人公となった。彼は女性人物を描き出すことを通じて、日本の伝統的な「物の哀れ」と幽玄美を表し、そして、自分の感情と理想も表した。川端の小説には、筋立てよりこんな女性美を描き出すことのほうが重要だと言える。『雪国』は川端康成の最高の傑作と言われ、その中で二人の女性人物「駒子」と「葉子」を描き出した。駒子は、「生は夏の花の如く」と言われた通り、情熱がほとばしる女子で、一方、葉子は、「死は秋の葉の如く」と言われた通り、天使のように純潔な女子である。二人の人物は川端康成が描いた女性像の典型として、そこからは川端康成の女性に対する考え、価値観などがうかがえる。

女性観とは普通主に男性の、女性に対するものの見方や考え方を指す。女性一般の性質に関する把握や理想などを指すことが多いと定義されている。本稿の言う「女性観」は特に川端康成が女性に対する審美的価値観のことを指す。本稿では先行研究に基づいて、駒子と葉子のそれぞれの美しい点を分析し、川端康成の女性観をまとめ、さらにその女性観の形成要因を究明することを目的としていく。

二 先行研究

川端康成は日本文壇において極めて重要な位置を占めている。川端康成本人やその作品を対象にする研究が多い。長谷川泉をはじめ数多くの学者は川端文学研究会を建ち上げた。長谷川泉は『川端康成の文学を味わう』、『川端康成論考』、『川端文学の機構』、『川端康成ーその愛と美と死』などの本を書いた。小谷野敦は『川端康成伝ー双面の人』という川端康成の伝記で、作家川端康成の祖先の来歴から誕生、成長、そして死にまでの一生、関係者や知人のその後に至るまで、膨大な事実を時系列順に並べて書いて、読者に作家以外の川端康成を紹介する。川端に関する研究において、『雪国』についての研究が豊富である。岩田光子が『雪国』についていろいろな研究をして、『川端康成「雪国」作品論集成』という本を編成した。特に、『雪国』の女性像に対する研究が多い。高橋有恒は「『雪国』のモデル考――越後湯沢のおける川端康成」という文章で駒子のモデルについて論じている。

中国の川端研究は、「改革開放」と共に歩み始めた。1990年代以降、川端文学に対する研究はますます豊かになって、研究課題の範囲も広くなっている。例えば、何乃英は川端の小説の芸術性を検討し、川端康成の小説の芸術風格を研究し、『川端康成小説芸術論』という本を書いた。川端の小説の主な芸術風格が美しみと悲しみであり。そして、家庭、社会的状況、主観的意識などの面からその風格の形成原因についても論じた。それから、王奕紅は『雪国』を通して、川端の美意識を探って、『从『雪国』看川端文学的美学意向』という論文を発表した。この論文は『雪国』をめぐって、川端康成の美的意識を考察し、川端康成が追求しようとしていた理想的な美はすなわち「日本美」だと指摘した。葉渭渠は長年に渡って川端康成を対象に研究し、『東方美の現代探索者——川端康成評伝』という著作の中で、川端康成の成績を客観的に述べ、そして川端康成の文学の形成過程を詳しく説明した。

本稿では『雪国』における女性人物の駒子と葉子のそれぞれの美しい点を研究し、川端康成の独特な女性観をまとめ、そして、その女性観の形成要因を明らかにするつもりである。

三 『雪国』における女性美

『雪国』は、川端康成の長編小説で、名作として国内外で名高い。「『雪国』は上越国境の清水トンネルを抜けた湯沢温泉を主な舞台として、雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語である。愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の虚無に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている。」1そして、この小説に登場した女性主人公の駒子と葉子は、川端が描いた女性像の代表だと言える。駒子は成熟で強気な女性で、一方、葉子は単純で天真な女性である。次は駒子と葉子それぞれの女性美を分析していこう。

1 駒子の美しさ

駒子は『雪国』の主人公だと言える。「島村を中心にして両方に駒子と葉子とを置いたと見るより、駒子を中心にして両方に島村と葉子とを置いた言ふ方がよささうにも思ふ。」2と作家本人も言っている。実は「駒子」は実在する人物がモデルとなっているのである。川端康成は『雪国』を書く前に、湯澤温泉へ行って、芸妓の松栄と知り合った。そして、題材の選択から初稿の完成までの三年間で川端は毎年の春と秋も湯澤温泉へ行って、松栄と交流していた。小説で、駒子の容貌と経歴は、だいたい松栄と同じである。その原因で、駒子の人物像はとても生き生きとしていて、その美しさも現実的なものがある。その一方、駒子と松栄はずいぶん異なるところもいっぱいある。その部分こそ、川端の女性に対する独特な審美的価値観の表れだと言えよう。

1.1 視覚的な美

小説には、駒子の容貌に言及することが多い。細かい所から身なりまで詳しく描写した。「細く高い鼻」、「頬が生き生きと上気している」、「あの美しく血の滑らかな唇」、「真直ぐに描いたような眼」といった言葉は、駒子の顔の独特の美しさを描き出した。特に、小説には駒子の肌を描いた文句が多く出ている。「白い陶器に薄紅を刷いたような皮膚」、「白粉はなく…百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は…何よりも清潔だった」3。赤く透き通った白い肌は少女の美しさを表す。「赤い唇」、「紫光りの黒の髪」、「赤い肌襦袢」、「赤い裾」といった濃い色で明るい少女像を描き出す。そして、小説に出た駒子を修飾する言葉が最も多いのは「清潔」である。「なんとも言えぬ清潔な美しさ」、「駒子は清潔に微笑んでいた」などいろいろな所から見て、駒子は清潔的な女子であることが分かる。黒い髪、薄紅い頬、赤い唇及び鮮やかな服、総じて言えば、川端の女性への美的評価で、駒子は視覚的で清潔で綺麗な女子である。

1.2 精神的な美

容貌の美しさよりもっと魅力があるのは駒子の精神である。駒子はとても不幸で、幼いごろから落ちぶれて芸妓になった。ようやく善良な師匠に救われたが、師匠の息子の行男を助けるために仕方がなく再び芸妓になった。行男が東京で長患いしたために、駒子は芸妓に出てまで治療の金を送る。そこで駒子の純直さを見え、恩返しのために自分でも顧みない。島村もこのことで駒子の存在が純粋に感じられる。芸妓になったとはいえ、彼女は自分の追求を忘れない。毎日日記を書き、小説を読み、三味線を弾み、生活や未来に憧れを持っている。

駒子の強気さは、生活だけでなく、愛情の面でも表れている。本当の愛情に単純な憧れがある。彼女は島村のことが好きだから、すべてを島村に捧げてもかまわない。島村とずっと一緒になる可能性がないことが知っても全心身に島村のことが愛している。島村のために笑ったり、泣いたりして、それに、普通の少女と同じように甲高い声で好きな人の名前を叫んでいる。駒子は純情で、毅然として愛を求め、落ちぶれても諦めないで生活に追求をもっている。駒子の性格は火のように強気で、芸妓にしても芸妓を超える生活の追求があり、運命の牢獄から逃げ出すためにずっと頑張っている。苦しくても生活を心から愛している。総じて言えば、駒子は精神の面では強気な女子である。この強気さは、川端が表現したがる女性の精神美である。

2 葉子の美しさ

葉子は駒子と比べて、出場回数がかなり少ない。全書に見れば、八回しかない。ところが、葉子の人物像はとても完璧である。葉子は駒子と同じような苦しい経歴があるので、駒子のことに深い同情を寄せていた。葉子は疑いなく純潔で善良な人で、そして、彼女の純潔さと善良さは存在しないほど純粋である。「駒子」は実在する人物がモデルになっているのに対して、「葉子」は川端が自分の想像で作った人物なので、彼女の美しさも謎のようなものがある。

2.1 純潔な美

葉子は純潔な女の子の代表である。外観といい内心といい純潔である。小説には、葉子の容貌についての描写はあまり多くない。「殊に娘の顔の…なんとも言えぬ美しさ…」4のように、島村の目で葉子のあるかなきかの美しさを表現する。作者は容貌より声のほうに重点を置き、「低くても澄み通る」「美しい呼び声」、多くの所で葉子の声の純潔さが描かれていた。

声でも澄んで純潔な葉子は、最も純潔的な所が心である。小説の始めには、葉子と駅長の話を通じて、葉子が母親のように弟に行き届いた配慮をすることが分かる。着物のような細かいことから仕事までよく気を配る。そして、葉子は好きな男、行男に対して、まめまめしく世話をしている。行男が東京へ治療に行く時、葉子は真剣に、親切に彼の世話をしている。しかも、行男が亡くなった後、葉子は毎日彼の霊を弔っている。そこで葉子は愛情に対する純潔さを見える。

小説の後ろ方に、葉子は島村と一緒に東京へ行こうと考えているが、行く前に葉子は墜落で亡くなった。「命の通っていない自由さで、生も死も休止したような姿」5、「島村はやはりなぜか死は感じなかったが、葉子の内生命が変形刷る、その移り目のようなものを感じた」6。その時、亡くなったのは葉子の肉体だけである。それに対して、彼女の霊魂はその時新生できた。死は葉子にとって終わりではなく、新しい始めであると、これは川端がわざと描いた結果で、純潔な葉子にこの雪国に残すためである。死ぬことこそ葉子の純潔さと完璧性を保てる。

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