关于浮世绘从大众媒体到日本趣味的转变

 2022-01-26 11:01

论文总字数:11173字

摘 要

江户的文化被认为是雅俗共存的庶民文化或者町人文化。而浮世绘在江户文化逐渐成熟走向大众化从而形成的町人文化的构成中扮演了重要角色,可以说是孕育了江户的文化和社会。在町人文化盛开,商品琳琅满目的江户时代,取材多变的浮世绘作为大众传媒的情报源,反映了整个江户时代的社会形态。浮世绘的这种作用与当今媒体相差无异。而且,浮世绘最初并不是以追求艺术形式为目的而出现的,反而言之是被当作大众媒体兴盛起来的。在与时代和大众意识相互融合的过程中,完成了从大众媒体到日本趣味的转变。

关键词:浮世绘,大众媒体,江户社会,町人文化,日本趣味

要 旨

江戸文化は「雅俗融合」の庶民の文化あるいは町人文化と見なされている。それに、江戸文化が成熟し大衆化しつつある過程中、浮世絵は江戸時代の町人文化の仕組みの中に大きな役割を果たしていた、江戸庶民の文化・社会を育んだと言える。町人文化が花開き、多種多様の商品の流通を見た江戸時代には、大きな可能性を持つ浮世絵がマスコミの情報源として、江戸社会の姿を写していた。更に、江戸文化の華として、その機能は現代のメディアと違いがない。浮世絵は最初に芸術ではなく、「大衆紙」という形で盛んになってきた。それは時代と大衆意識とお互いに融合する過程中に、ジャポニスムに昇華できてきた。

キーワード:浮世絵,メディア大衆紙,江戸社会,町人文化,ジャポニスム

目 次

はじめに(序論)……………………………………………………………

  1. 浮世絵を育った江戸時代…………………………………………

 1.1 江戸社会の繁栄…………………………………………………

 1.2 浮世絵の出版……………………………………………………

 1.3 幕末の検閲制度………………………………………………

第二章 浮世絵が描かれた大衆メディア…………………………………

 2.1 浮世絵のメディア性………………………………………………

 2.2 浮世絵が与える大衆化……………………………………………

 2.3広く使われる「もどく」……………………………………………

第三章 ジャポニスム……………………………………………………

 3.1 欧米に興ったジャポニスム…………………………………………

 3.2東洋の雅俗……………………………………………………………

 3.3承認されたジャポニスム……………………………………………

おわりに……………………………………………………………………

参考文献……………………………………………………………………

付録…………………………………………………………………………

謝辞…………………………………………………………………………

はじめに

現在は美術作品として鑑賞する機会の多い浮世絵も、実際にそれらが生産された江戸時代には、制作目的や美的内容はかなり現代の認識と異なるものであった。江戸の人々にとっての浮世絵版画は、庶民のために大量生産された「商品」であり、今でいえばポスター・チラシ・パンフレットのような日常生活の消耗品であった。そういう浮世絵の機能は、高橋克彦(1992)が浮世絵を情報、広告、遊びにし、改めて見直している。それで、江戸時代の浮世絵は美術作品である以前に、関心ある情報を伝えるためのメディアであったといえる。庶民に情報や夢を伝えるメディアとして幅広い役割を担っていた。

また、新井羲史(2008)は一般的な絵画作品として美術の視座から浮世絵版画を鑑賞する仕方のみでは文化史的位置づけからいえば偏向した理解の仕方であると指摘している。これまで浮世絵版画の鑑賞では,ほとんどコミュニケーションの問題としての扱いがなされてこなかった。

 あらゆる角度から検討すると、浮世絵が一体芸術であるかと幾つの見方が異なっている。江戸社会を全盤的に考えれば、浮世絵が別の面がある。そして、なぜ浮世絵が芸術であるという認識が現代の日本人の中に浸透してしまったのか。

 そこで、本研究では江戸時代に大衆メデイアとして盛んになった浮世絵を対象にし、浮世絵の時代背景と大衆性を探求する上で、浮世絵が芸術に昇華できるのはいかに江戸文化とジャポニスムとどう繫がっているのかを明らかにする。本稿では、第一章は浮世絵を孕んでいた幕府が支配する江戸時代を全盤的に把握する。第二章は大衆メディアとしての浮世絵が果たした機能を具体的に分析する。第三章はジャポニスムを巡り、日本人に見直される原因は外国人の目であると証明してみる。

  1. 浮世絵を育った江戸時代
    1. 江戸社会の繁栄

 江戸の浮世絵版画が隆盛を見た18世紀前半から19世紀半ばまでの江戸は、人口百万を超えるロンドン、パリを凌ぐ世界最大規模の都市と言われいる。

 慶長8年(1603)2月、約130年間続いた戦国時代が終わり、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府が開かれた。それから大政奉還までの264年間、日本は平和で文明・文化の花開く時代を迎え、国内で自給自足経済が実現できていた。

 また、失職した武士達は、安土・桃山時代のころから新田開発への活動に転じ、経済的にも高度成長期を迎えることになった。僧侶や武士の開いた私塾や藩の開いた学校によって、教育が日本全国に行き渡ることになる。読み書き算盤はもちろん、武家の子供は武士としての、髪結いになる子供は髪結いとしての、心構えや作法・秩序・躾も含めた教育で、世界一の識字率を誇った。

 江戸時代には教育の向上・印刷技術の向上などを背景に、参勤交代に伴う江戸情報が集中してくるシステムが構築されていった。従って、出費により大名が商人に多額の借金を負う一方で、武家の統制下にあった公家も当然のように没落しており、金融経済が力をつけ、商業の隆盛が江戸を中心とした豊かな町人文化を育み、伝統芸能・娯楽・芸術・経済・物流などが非常に活発していた。

 浮世絵は、まさにこうした時代を背景に生まれ、江戸社会の繁栄に役立たれ、版画による安い量産品の視覚的なメディアとして、絵の顧客である町人たちの求めに応え、所謂大衆消費の要求に合わせてきた。

    1. 浮世絵の出版

 木版印刷の技術が向上し普及することにより、作品が量産化され店頭で販売されるようになった江戸時代前にも「本」は作られていた。絵巻物や絵草紙、絵物語と呼ばれる絵と文章を組み合わせた「本」であるが、それらは高価で部数が少なく、一般大衆が簡単に手に入れることは困難で皇族、仏教関係者や位の高い武士など一部の特権階級のための「本」であった。江戸時代には技術向上も進み、図解や各種図鑑、絵物語などの量産化が可能になった。

 やがて仮名草子や草双紙といった通俗的な内容のものが浮世絵とともに出版されるようになった。こうした木版技術と出版流通システムの確立により、多くの出版書籍群が生まれた。その中で庶民を含めた不特定多数がその読者として、商業出版の興隆を支えた。

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