百人一首における花草木から見る中日植物イメージの違い

 2021-12-02 08:12

论文总字数:17167字

摘 要

镰仓时代的歌人藤原定家所编纂的《小仓百人一首》汇集了日本王朝文化七百年间的名歌。百人一首作为最广为流传的和歌选集,对日本人的审美意识的形成产生了深远的影响。日本人热爱自然,对于四季的变迁十分敏感。日本和歌一般使用四季中的花草木来表达歌人内心细微的感情世界。从百人一首中的涉及植物的和歌中,可以发现日本人独特的审美情趣。

经统计,百人一首中包含植物的和歌共34首,其中有16种植物。按照和歌的内容分类,会发现三个特征:樱花作为春天的代表,红叶作为秋天的代表,忍草、芦苇、艾、松、竹叶、嫩菜、南五味子等草木,多用来表现各种各样的爱情。本文以小仓百人一首中涉及植物的和歌为研究对象,将其与诗经、楚辞、唐诗三百首、宋词等中国古典诗词中的植物意象进行比较分析,总结差异。百人一首中,樱花代表春天、红叶代表秋天,但在中国的古典文学中,樱花与红叶的出现次数较少。日本人认为凋落的花也是美的。中国古典文学中的植物,多被诗人人格化,托付了诗人自身的志向。

关于差异的原因,笔者尝试从历史,宗教,审美方面进行分析。受到日本的国风文化的发展、吸收外来文化的手法、佛教无常观、中国诗言志的表现手法、隐居山林的历史传统的影响。

关键词:百人一首,植物,美感,和歌

要 旨

百人一首は、藤原定家が古来の秀歌を選び集めたものである。王朝時代に詠まれた歌々は、みごとに彫琢された言葉によって、人の心のありようを鋭く繊細に表現している。日本人は古くから自然を愛し、季節の移り変わりに敏感で繊細である。和歌はよく四季の花草木に通じており、作者の心の豊かな感情を表す。百人一首における植物の歌から日本人の独特な美意識を覗くことができると思われる。

調べてみたところ、百人一首では34首の歌に植物が詠み込まれており、植物の種類は16種であることがわかる。内容にそって整理してみると、桜は春の花として、紅葉は秋の花として見立てて、松、しのぶ、あし、もぐさ、ささ、若菜、さねかずらなどの草木はいろいろな恋を表すという特徴がある。本論文は、百人一首における植物の和歌を研究対象として、詩経、楚辞、唐詩三百首、宋詞など中国の古典詩詞の植物に対するイメージと比べて違いをまとめてみる。百人一首の植物の歌において、桜は春の花として、紅葉は秋の花として見立てたが、中国の古典文学において、桜と紅葉の数が少ない。日本人は散る花から美を感じるが、中国人はよく植物に志を託している。

さらに、筆者は本論文で、具体的に歴史、宗教、審美から中日両国における違いの原因の分析を試みた。日本の国風文化の発展、融合の術、仏教の無常観の影響、漢詩の志を言うという表現方法、隠遁生活の影響などが考えられる。

キーワード:百人一首、植物、美意識、和歌

目 次

はじめに 1

第一章 百人一首における植物とその特徴 2

1.1 春の花―桜 2

1.2 秋の花―紅葉 3

1.3 恋の草と木 4

第二章 中日古典詩歌における植物イメージの相違点 8

2.1桜 8

2.2紅葉 9

2.3草 9

2.4松 10

2.5竹 11

2.6梅 11

2.7菊 12

第三章 中日の植物に対するイメージの違いの原因 13

3.1国風文化の発展 13

3.2融合の術 14

3.3仏教の無常観 14

3.4詩は志を言う 15

3.5隠遁生活 15

おわりに 17

参考文献 18

謝辞 19

はじめに

 日本で編纂されたアンソロジーの中で、『小倉百人一首』ほど永くかつ広く愛唱の対象になったものはあるまい。鎌倉時代の大歌人藤原定家は飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。七世紀から十三世紀までの各時代の歌人たちの顔ぶれをながめながら選んだ歌には、かつて栄華を誇った王朝の記憶が幾重にも織り込まれている。

 日本は海に囲まれた島国である。南北に長く、四季がはっきりしている。これが原因で、日本人は古くから自然を愛し、季節の移り変わりに敏感で繊細である。また、日本の気候の地域差は顕著であり、植物の生態は複雑で多様化している。日本の和歌はよく四季の花草木に通じており、作者の心の豊かな感情を表す。

 百人一首の歌の内容の多くは、四季折々の変化してやまない自然の景観や、微妙に揺れ動く恋の気持ちを詠んだものだ。じりじりと焦げる恋心、命のはかなさ、移ろいゆくもののあわれなど、さまざまな感情が詠み込まれている。そこには、日本人の美意識が端的に表されている。本論文は、詩経、楚辞、唐詩三百首、宋詞など中国の古典詩詞と百人一首の植物の歌を中心に、中日の植物に対するイメージを論じた上、その違いを比較してまとめる。違いの原因を分析した上で、日本人の独特な美意識を覗くことができると思われる。

第一章 百人一首における植物とその特徴

 調べてみたところ、百人一首では34首の歌に植物が詠み込まれていて、植物の種類は16種であることがわかる。

表1 百人一首における植物

植物名

紅葉

しのぶ

もぐさ

若菜、さねかづら、菊、梅、浅ぢ、しの、八重むぐら、ささ、まき、木、も

6

6

4

3

2

2

2

2

1

注:22番の歌に草と木2種の植物が出ている。71番に稲と葦2種の植物が出ている。

 百人一首における植物の歌を内容にそって整理してみると、3つの特徴があることがわかった。桜(6首)と梅(1首)は春の花として、紅葉(6首)と菊(1首)は秋の花として見立てた。松(4首)、しのぶ(2首)、あし(2首)、もぐさ(2首)、ささ(1首)、若菜(1首)、さねかずら(1首)は待つ恋、失恋、短き恋、乱れる恋、告げぬ恋、最中の恋、忍ぶ恋などいろいろな恋を表す。

1.1 春の花―桜

 百人一首の中に桜が詠まれた歌が6首ある。咲く花3首と散る花3首である。

 いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に にほひぬるかな(伊勢大輔61番)

 現代語訳:昔の奈良の都で咲いていた八重桜が、今日はこの平安の都の宮中に、いちだんと美しく咲き誇っていることだよ。

 宮中に飾られた贈り物の八重桜の花の枝をみて詠んだ歌である。美しく咲く桜は宮殿の繁栄を象徴する。

 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし(前大僧正行尊66番)

 現代語訳:わたしがお前のことを心なつかしく思うように、お前もいっしょに、私をしみじみと懐かしく思っておくれ。山桜よ。このような山奥では、桜の花のお前よりほかに、私の心を知ってくれる者もいないのだから。

 山の奥深くで出会ったひと本の山桜に私がおまえを懐かしむように、おまえもなつかしんでおくれと語りかけている。桜と一対一の対話である。

 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ(権中納言匡房73番)

 現代語訳:遠く高い山の峰の桜が咲いたことよ。その美しい桜が見えなくなるから、里近い山の桜の春霞よ、どうか立ち込めないでほしいものだ。

 これは遠山の桜である。せっかく咲いた花をかくす霞が立たなければいいなあ。

 この三首は、一首目が折り取った花、二首目が山奥のひと本桜、三首目が遠望する群桜というように、次第に大きな光景に移っていく。作者の綿密な選歌意識が見られる。

 散る花では、

 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に

(小野小町9番)

 現代語訳:桜の花の色はすっかり衰えてしまったことよ。むなしくも、春の長雨が降るのを眺めている間に、そしてまた、この身が世の中で暮らしてゆくことについていろいろと物思いに耽っていた間に。私の容色も衰えてしまったなあ。

 外の風物の世界と内なる作者の心の世界と、二様の表現組織を展開している。自然を詠みながらわが身のあり方を詠嘆しているといったまことに巧みな歌である。

 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ(紀友則 33番)

 現代語訳:陽光ものどかなこの春の日なのに、なぜ落ち着いたこころもなく、桜の花は散り急いでいるのであろうか。散りゆく花を惜しむこころである。

 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり(入道前の太政大臣 96番)

 現代語訳:ふりゆくとは言うものの、桜の花を誘って吹き散らす山風が吹く庭に、降りゆく花の雪ではなくて、ほとんど旧りゆく、すなわち老いてゆくものは、わたし自身であることよ。やがては老いゆく人の命のはかなさ。散りゆく花に人の命のはかなさを重ねる。

 一首目で移ろいゆくもののあわれを、二首目で散る花を惜しむ心を、三首目で命のはかなさをと、三首三様に詠い分けている。

1.2 秋の花―紅葉

 百人一首の中に紅葉が詠まれた歌も6首ある。紅葉が詠まれる歌は山の紅葉と川の紅葉に分けることができる。まず山の紅葉を見ていこう。

 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき(猿丸大夫5番)

 現代語訳:奥深い山の中で、散り積もった紅葉を踏み分けて、鳴いている鹿の声を聞く時に、何もまさって秋は悲しく感じられる。

 このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに(菅家24番)

 現代語訳:今度の旅は急なことで、お供えする幣を用意することができませんでした。そこで、さしあたってこの手向山の美しい錦織のような紅葉をお供えいたしますので、神様の御心のままにお受け取りください

 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ(貞信公26番)

 現代語訳:小倉山の峰のもみじ葉よ、もしもお前に情趣を理解する心があるならば、もう一度行幸があるまで、散らないで待っていてほしい。

 紅葉への語りかけとして、もう一度あるはずの行幸のため散らずに待ってほしいと言っている。

 この三首の歌は山の紅葉を詠ったもので、それぞれ散り敷く紅葉のあわれ、盛りの紅葉は錦に見立てられ、そして「散るな」の心が詠われる。

 これら山の紅葉三首に対応して、川の紅葉三首がある。

 ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平朝臣17番)

 現代語訳:遠い神代の昔にも、このような不思議なことがあったとは聞いていない。竜田川において、川の水を紅葉を散り流すことによって、美しい紅色にしぼり染めにするということは。

 川面に散り敷いた紅葉をほめたたえている。

 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり(春道列樹32番)

 現代語訳:山あいを流れる谷川に、人間ではなく風が架け渡したしがらみは、流れようとしても、流れることができずに散りたまっている紅葉であったことよ。

 紅葉は水をせき止めるしがらみに見立てられる。

 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり(能因法師69番)

 現代語訳:激しい山風が吹き荒らす三室山の紅葉の葉は、竜田川の水面に散り敷き、あたかも錦織りのようになるのだなあ。

 流れゆく紅葉の美しさは華やかな錦に見立てられる。

 このように、これら三首はずへて見立ての歌、それぞれの紅葉はしぼり染めに、しがらみに、錦に見立てられるというように、整然としかも変化に富んだ選歌意識をもって選ばれていることがわかる。

1.3 恋の草と木

1.3.1 待つ恋

 立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む(中納言行平16番)

「因幡の山の峰に生えている松という名のように、あなたが待つとひとこといってくれたなら......」と、「松」と「待つ」の「まつ」が掛詞になっている。この歌は、作者が因幡守に任せられて京から出発しようとしたときに別れを惜しむ人に対して詠んだ歌である。

 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ(権中納言定家97番)

 松帆の「松」に「待つ」をかけて、やるせない恋の思いをうたっている。

1.3.2 失恋

 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは(清原元輔 42番)

 「末の松山」は宮城県の多賀城市あたりの地名である。どんな大きな波でも末の松山を越すことがないところから、そこを「波」が越さないとは、二人の間に心変わりのないことのたとえとなった。

ささ

 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする(大弐三位58番)

 有馬山近くの猪名の笹原に風が吹くと、そよそよと音がする。その、そよという音のように、そうですよ、どうしてあなたのことを忘れましょうか。いや決して忘れはしませんよ。

 「私は忘れないのに、あなたこそ...」と、いなの笹原をふく風の「そよ」という秋さびた音に思いを重ねて、その「そよ」だけで、恋を失おうとする女のかなしみをさり気なく相手に手渡そうとする女心の美しさ。言外の恨み言も、やんわりとおだやかなほうがよいようだ。

1.3.3 短き恋

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