从日用品看现今日本人的美意识

 2021-12-20 08:12

论文总字数:16480字

摘 要

  

本篇论文以研究现今日本人的审美观念为目的,以现代日本日用品为例,围绕“现代日本人的审美有哪些特点”,“这些特点与日本传统的美意识有何关联”这两个问题展开。

论文第一章解释说明了“什么是美意识”,“在日本美意识是何时如何形成的”,“在日本美意识的形成过程中,外来文化起到怎样的作用”等问题。

论文第二章、第三章、第四章具体说明日本日用品有怎样的特点以及其设计过程中蕴含了怎样的美意识。论文第二章论述了现代日本日用品的设计与日本人独特的自然观的联系。论文第三章以日用品为例,论述了现代日本人一脉相承,与时具进的色彩喜好。论文第四章论述了日本日用品朴素的特点,以及在大小上的特点。

论文通过以上的论述,旨在得出以下结论,日本人在设计日用品时有从自然中获取灵感的习惯这体现了日本人以自然为美的审美。现代日本人的色彩喜好在变得更加多彩的同时,也在追求着自古以来的温和。同时,日本人在审美上倾向于认为简约朴素的,小而精致的是更具有美感的。

关键词:美意识,日用品,自然,朴素,小

要 旨

本論文の目的は現代日本人の美意識を研究することである。現代日本人の美意識といえば何があるか、「わび」、「さび」を代表とする日本人の伝統的な美意識は今現代残っているか、どのような形で残っているか。日用品についての分析を通じて、日本人の美意識を研究したい。

第一章では、「美意識」の定義、日本で「美意識」の発展歴史を説明する。主に、日本の「美意識」はいつから、どう形成されたのか、「美意識」の発展する過程で外来文化はどれほど影響をあたえるのか、という二つの問題を検討する。

第二章、第三章、第四章では、現代の日用品、またはそのデザインの中で含められた日本人の「美意識」を具体的に検討する。具体的に、日用品の設計と自然との関係、現代日本人の色彩嗜好、現代日本日用品の簡素さ、大きさなどを取り上げる。そして、これらの審美的特徴は日本の伝統的「美意識」から発展してきたのであるから、その起源も含めて説明する。

最後に、現代日本人が「人工的」より「自然的」、多彩ながらも「落ち着いた」色彩、複雑・華麗より簡素、大きく派手なものよりも小さくささやかなものを美として感じ取る傾向があるという結論を出す。

キーワード:美意識、日用品、自然、簡素、小さい

目 次

はじめに 1

第一章 日本の美意識 2

1.1「美意識」と日本の美意識の歴史 2

1.2日本人の美意識と外来文化 3

第二章 日用品の設計と自然との関係 4

2.1日本人の自然観 4

2.2自然からの美 4

第三章 日本人の色彩感覚 5

3.1日本人の色彩嗜好 5

3.1.1黒好み 5

3.1.2粋・意気色(青、鼠、茶色)への嗜好 5

3.1.3素朴な色調 6

3.2日用品から見る現代日本人の色彩嗜好の発展方向 6

3.2.1落ち着いた色調への嗜好 6

3.2.2新しい日本の色―黄、緑、オレンジへの嗜好    7

第四章 日用品から見る簡素な美と小さなものの美 8

4.1簡素な美 8

4.1.1簡素の起源―「わび」 8

4.1.2簡素さへの追求 8

4.1.3「無印良品」の理念 9

4.2小さなものの美 9

4.2.1歴史起源 9

4.2.2美意識の表現 10

終わりに 12

参考文献 13

謝辞 14

はじめに

あらゆる機会を通じて視覚的な美しさを求める姿勢は、古くから日本人の生活の随所に見られるだけでなく、散り際にさえ美しさを求める武士道や、悪者でも美しさを求めた歌舞伎の敵役の豪華な衣装など、美しさを希求する強い姿勢も感じられる。日本人が視覚的な美しさを追求するのが、実は日本人の美意識の表現である。古くから美しさを追求する日本人は現代になって、その美意識も変わってくる。

現代日本人の美意識を研究するため日本人が何を美しいと思うかという問題を回答しなければならない。しかし、どんな答えと言っても、おそらく誰でも知っている反証をあげることができる。

その理由は何であろうか。日本文学・日本文化の研究学者、現在コロンビア大学名誉教授であるドナルド・キーンが『日本人の美意識』(1999)という本でこう言っている。「日本人の美的趣味が、何百年もずっと変わることがなかった、などということはあり得ない。また日本人の好みが、社会的な階級差や、教育程度の違いによって影響されなかった、ということもあり得ない。したがって日本の美学についてなにか一般論を言う時には、そうしたことを覚えておいて、決して損はしないだろう。」また、マイヤ・ゲラシモヴァが『日本人の美意識の特徴表現と原因』(2004)という文書の中でこう書いている。「時代の流れとともに、あらゆる分野において西洋と東洋はお互いに影響を受けたり与えたりしてしまったので、美意識にも、芸術にも共通点が段々多くなってきた。」

つまり、同じ日本人でも、社会的な階級差や、教育程度の違いによって美意識が違うのである。そして、外来文化の影響で、日本人の美意識も変わるのである。日本人のぞれぞれの美意識を全部説明するのが無理だと思うが、この論文では、現代日本人が使っている日用品から、日本人の美意識の傾向について述べていきたい。

第一章 日本の美意識

1.1「美意識」と日本の美意識の歴史

『新明解』によると、「美意識」とは美を美として感じ取る感覚である。ウィキペディアでは、日本における「美意識」の形成について概ね次のように述べている。

近代以前の日本には、西洋のような一貫した形での思索の集大成としての「美学」はない。しかし、「いき」、「わび」などの個別の美意識は、古くから存在しており、また茶道や日本建築、伝統工芸品などを通して、さまざまな形で実践されてきた。これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前はもっぱら「人間」を中心に据えた「芸術」のために発展した。そのため、日本の美意識は、西洋美学の視点からは、十分に記述・説明することができない。日本人自身も、日本の美意識を、明快に定義・説明することが困難であるのが現状である。歴史的に見ると、日本神話の天の岩戸の挿話は、民族の危機が歌舞の芸術によって救われたという意味であり、日本民族の歴史に占める比重の大きさを示す。ここにおける理想的人間は「明き浄き直きこころ」という内面の曇りのないことに結晶し、罪は祓いによって消散されるとする宗教的呪術的心情には美と清さとがなんらかの形において一致するという美学的思考が胎生している。日本において美学的思考が初めて意識的に理論化されたのは、『古今和歌集』「仮名序」においてである。紀貫之は「仮名序」で、和歌は純粋な心の結実であるとした(「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」[1])。そして和歌に結集する芸術は、「生きとし生けるもの」[2]の生の表現が人においてその精華を開花させたものであるとした。この歌論が芸術批評、創作指標として理論化されたのは、藤原公任の『新撰髄脳』[3]、『和歌九品』以降においてである。藤原公任によって最高の歌格とされた「あまりの心」は、藤原俊成、壬生忠岑、そして鴨長明によって「余情」[4]として深度化され、幽玄と関係づけられた。藤原定家は、「むかし貫之歌のたくみにたけおよびがたくことばづよくすがたおもしろき様をこのみて余情妖艶の体をよまず」(『近代秀歌』)として、「あはれ」(優美)の範疇を開拓した。

以上のように、日本人の美意識はモノより、人間(品質)についての考えから始まり、和歌(歌論)によって、発展されたのである。
 高階秀爾の『日本近代の美意識』(1993)によると、「美しい」という言葉が、今日の日本人が使っているような意味を持つようになったのは、おおむね室町畤代以降であるという。上代(およそ奈良時代まで)の日本入の「美」を表す概念は、クハシ(細)、キヨラ(清)、ウツクシ(細小)、キレイ(清潔)と変化しており、清なるもの、潔なるもの.細かなるものに同調していた。中古(平安時代)には、「みやび」や「をかし」、「なまめかし」等の「美」の概念が、そして中世(鎌倉・室町時代)には、「わび・さび」や「幽玄」といった「美」の概念が成立する。また近代(江戸時代)には、「いき」等の「美」の概念が成立する。さらにゲラシモヴァ(2004)では近代(明治以降)になると、西欧的な「比例・比率」や「調和」や「対称・均斉」といった「美」に、多くの人々の目が向けられた一方、欧米人たちによる、日本の「美亅の再発見がなされる。その中でブルーノ・タウトは『日本文化私論』(1940)で日本芸術の特徴として、「単純さ」という概念をあげ、伊勢神宮や桂離宮を絶賛している。またドナルド・キーン(1999)は、日本人の美意識として「暗示または余情」それに「ほろびやすさ」などの「美」の概念をあげている。

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